君が誰かに微笑う。
君が何かに触れる。
その総てに僕は嫉妬する。
君の総てを僕の中に。
閉じ込めてしまえたら。
いいのに。
月が蒼い。
湖の淵にルックは腰掛けてそう思った。
隣の影は今日、皇帝バルバロッサを倒して英雄という名になった彼だった。
少し離れた城の方からはまだ祝賀会の喧騒が聞こえる。
元山賊メンバーやタイ・ホーあたりはまだ、酔いに酔っても酒を注ぎ直しているのだろう。
もう、主役がどこへいったかなんて関係ないようだ。
現に彼が今ここにいるのに、城の喧騒は明るいそれだった。
水面に映った月の影は揺れて儚げな形になる。
すぐに壊れてしまうような。
この平和もすぐに壊れてしまうような。
暗示のような、示唆のような。
ルックは石を投げて月を完全に壊した。
「どうしたんだ?」
「べつに」
急に前触れもなく立ち上がったルックを訝しく思ったのか、ようやく彼は言葉を吐いた。
けれどルックはそれだけ言うとまた彼の隣に座り込む。
風が流れて無言は二人を包む。
いつもならそれでも別に居心地の悪さは感じないのだが、今日は違った。
何かを話してないと気がすまない。
何かをしていないと気がすまない。
無言だとここに自分が一人でいるよな錯覚を覚えるから。
戦争が終って、その存在を明らかに放っていた彼は急に儚いものに変えた。
例えばあの月のように。
戦う事で彼の中にあった強いものは、戦いが終る事で消えてしまった。
泣けないこと。笑えないこと。自我を突き進む事。冷たくなる事。自暴自棄になること。
それらを、彼はしないのではなく出来なかった。
自分の為ではなく、他人のために。出来なかった。
けれど今日、彼はその総てから解き放たれた。
そして。
彼がここにいる理由からも。
微かな音を放って、水面は薄く揺れた。
「出て行くんだろ?」
いきなり核心をついた自分にルックは、は、として口元をおさえた。
こわごわと、それでも何とかしてそちらを見遣ると案の定。
曖昧な貌で彼は自分を見ている。
蒼い月光は彼の綺麗な肌を浮き彫らせて。
「よく・・・解ったな」
「君がここにいる理由はもうないからね」
自嘲気味に自分の口から放たれた言葉はいやに空々しくて。
ルックは自分の体が萎縮するのを感じた。
彼は城を見上げた。
そこからはまだ騒々しい雑音が聞こえる。
「そうだな」
肯定はして欲しくなかった。
嘘でもいいから。ここにいるって言って欲しかった。
言って欲しかった・・・?
違う。
僕の手の届くところに・・・・・・。
まだ真実を言ってくれるだけ、僕は幸せ?
ルックはゆるりと手を伸ばして、彼のスカーフを解いた。
漆黒の髪が照らされる。影は闇に溶け合う。
ただの星屑の一つだったはずの彼は今日で歴史上の人物となる。
この地に平和をもたらした不老の英雄。
この言葉はきっと、彼がどこへ行っても彼を縛り付ける鎖にしかならない。
それでも彼はここから去って行くのだ。
ルックは彼の闇色の髪を少しだけ掴んで。
引っ張るように彼の唇を引き寄せ口付けた、
そっと。少しだけ触れた、彼の柔らかな熱。
これだけは。
この唇だけは。
僕のもの。
僕のもの。
そう思わせて。
唇を離す瞬間、グ、と彼に腕を引き寄せられ、自分がした以上の口付けをされた。
深く、深く離れない互いの唇。
触れ合った舌先に、絡まった唾液。
僕は彼のもの?僕は彼のもの?
彼は僕のもの?彼は僕のもの?
彼はきっと誰のものでもない。
彼はルックが取り上げたスカーフをまた結び直して。
立ち上がった。
「それじゃあ」
ルックは何も言えなかった。
彼はまた戦う。
血を流したくなくても、彼はきっと戦う。
あの武器を持って、あの紋章を宿して、彼はきっと戦う。
去って行く背中はただの少年に見えた。
自分と同じ。ただの少年に見えた。
君が誰かに微笑う。
君が何かに触れる。
その総てに僕は嫉妬する。
だからその唇だけは。
僕のもの。
そう思わせて。
彼の姿はもう闇に溶け込んで、跡形もなくなった。
城からの雑音は何も知らずに騒がしい。
明日にはきっと、なくなるだろう一夜の夢。
ルックは立ち上がり、手近な石を取り上げた。
そして、水面に揺れる月を壊した。
君の体も心も総て自分のものになったらいいのに。
彼の総てを自分の中に閉じ込められたらいいのに。
月はまたその形を取り戻して。
あの唇は。
ぼくのもの。
ルックは風だから。きっと誰のものにもならない。
けれど先程重ねたあの唇は。
僕のもの。僕のもの。
そう。思ってる。
あの唇は。
僕のもの。
|