僕と君は全然違う人間で。
君の心は僕には解ったものじゃない。
それが時折嫌に歯痒くて。
それが時に安堵に変わる。
けれど君の全てを知ってみたいと思うのは。
僕の我侭でしかないのだろうか。
「いい加減にしてくれない?」
空けたばかりのグラスをテーブルにかん、と置いてルックは云った。
その様子に向かいに座ったビクトールは苦笑する。
いい加減にしろと言いながらも彼は酒の代わりを求めているのだ。
まったく誘ったのは自分だというのにこちらが酔うまもなく相手が酔ってしまっている。
こうなったらもう自分は酔えないではないか。
面倒見が良いのも時には厄介なものだと心中で毒づいた。
けれど目の前の彼のそういうのを見れるのは結構楽しいと思った。
いつもその能面のような表情を変えない彼が。
今眼前で酒に酔って顔を赤くしている。
「ほらよ、もっと呑め」
「あのねえ、ビクトール。僕は飲みに来たわけじゃないんだよ」
そう云いながらも注がれたグラスを口元に持っていく。
酔っているのに訳も解らず口調だけ明瞭しているのがまたおかしい。
ビクトールはそんな彼を観察しながら、自らのグラスにも酒を注ぐ。
呑み慣れない仲間と酒を囲むのもたまにはいいと思いながら。
事の発端はビクトールの酒仲間が皆出払っていたことだった。
フリックはもとより、タイ・ホーはシュウの用で出かけており、アマダもリーダーに船頭として連れられていった。
賑やかなこの城で一人酒を注ぐのはたまらなく嫌だったし、何より悲しい時以外は大勢で飲みたいものだ。
しんみりした酒にはあんまり出会いたくない。
それでたまには呑まない奴を引き込もうと白羽の矢が立ったのがルックだった。
考えてみればいつも絶好の場所に立っているのだ。
酒場にも程近い石版の前。
そこで日柄一日暇そうにしていればビクトールとしても誘わずにいられない。
それに、変わらない表情がどう剥がされていくのか興味もあったし。
始めは随分と嫌そうにしていた彼だったのだが、いい加減断るのも面倒になったのか付いてきてくれた。
取り付いたら離れないのがビクトールだ。
3年前からの変わらない所業をルックはよく知っていたのかもしれない。
けれど付き合わせた酒はいつのまにか付き合いの酒に成り代わっていた。
眼前の彼は顔色さえ変わっていないがかなり酔っているらしい。
まるで会話が噛み合っていない。
「ルックく――――ん!!!!」
突然男の大声が酒場に響き渡った。
酒に酔っていたものたちは何かが抜けたように、は、とそちらを見遣る。
足元がおぼつかなくても一応は皆戦士なのだ。
ビクトールも例に漏れずそちらを見遣る。
手は既に剣の鞘に掛かっていた。
が。
その声の正体が解った途端拍子抜けしたように息を付いた。
どうりで聞き覚えのある声だと思ったのだ。
「何だグレミオか」
その言葉に糸をめぐらしたような酒場の雰囲気は和やかなそれに戻る。
おのおのまた椅子に深く腰を掛け、レオナに酒の追加を叫んでいる。
グラスの音がまた響いた。
「何だとは何ですか!?こっちは重大事件なんですよ!」
グレミオは戸口からそのままわき目も振らずビクトールの元へ歩いてきた。
その足音はまるで象みたいだ。
そういえばあいつがいないのに、彼だけ来るのは珍しいと思った。
グレミオがここまで来るのは大抵、あいつを迎えに来る時だったから。
「はあん?何かあったのか?」
のんびりと酒を注ぎながらそう云うと酒瓶を取られてしまった。
「大有りですよ!これ見てください」
そう云われて見せられたものを見て、思わずビクトールは口中の酒を吹き出した。
グレミオの繋いだ手の先にいた者。
それは。
「これ・・・・・・お前の子供じゃねーよな?」
「そんな訳ないでしょう。突然こんな姿になって帰ってきたのですよ!これはもう悪い魔法を掛けられたのだと思って」
「で、ルックんトコに来たって訳か?」
「いえ、正しくはルック君にレックナート様の元へ連れて行ってもらおうと思って・・・・・・」
「案外したたかだな、お前」
「何とでも言ってください。わたしは坊ちゃんの為なら何でもするんですから」
繋がれた手の先。
そこにいたのは。
何とも可愛らしく幼い少年だった。
しかもトランの英雄そっくりの。
いや、トランの英雄そのものだった。
そういえば先ほどからルックの毒舌が聞こえてこないな、とビクトールは机の向かいを見遣る。
声がないのもその筈だ。
彼はグラスの酒を半分に机に突っ伏していた。
起こすのは可哀相かと思ったがこういう状況なら仕方ない。
ビクトールは仕方なくルックの背を揺らした。
「ルック、おいルック」
「ん〜・・・・・・・・・・・・」
普段なら戦闘慣れしている彼の事、すんなり起きるのだろうが、酒に酔った身体ではそれも出来ないらしい。
見かねたのか、小さい英雄がとてとてと覚束ない足取りで近寄った。
椅子によじ登りルックの背中に被さる。
「るっく〜?」
けれど状況に変化はない。
ルックは寝たまんまだし、英雄は被さったままだし訳が解らない。
「そういえばグレミオ。あいつ頭の中はどうなってるんだ?」
「どうやら頭の中もみたいですよ。全然覚えてません」
その言葉に何故か少しだけ安堵した。
あの小さな身体に痛い想いだけ残ると言うのは酷な事だ。
「うるさいな」
突然ひゅん、と風が鳴った。
ルックが重みに耐えかねて無意識に魔法を放ったらしい。
それだけを考えればなんて危ない奴だろう。
ぱりんと遠くで硝子の割れる音がした。
「るっく〜」
それでも背中の彼は泣きもせずまだしがみついている。
その様子にビクトールは少し感服した。
「るっくるっく〜〜」
「何・・・?煩いな・・・・・・」
ようやく姫はその閉じた目を開いた。
碧の深い色が光を放つ。
けれどまだ半分は夢の中のようだ。視線が定まっていない。
ルックは背中の物体を剥がし、そちらを見遣った。
空白のような何もない時間が酒場を埋める。
それはきっと一瞬だったのだろうが、ビクトールには永遠に思えた。
「これあいつの子供?」
第一声がそれだった。
「ふうん。で、こいつについてレックナート様に聞いて来いって?」
嫌そうに顔を歪ませてルックは云った。
今までの経緯をグレミオから聞いた後だった。
経緯と言ってもどうなって子供になってしまったのかが解らないのだから明瞭としたものではないが。
とりあえずこれが子供云々ではなく本人だと言う事は解ってもらえたようだ。
「別人だったらどうすんの?」
ありえないことではない。
どこぞかの英雄マニアがかつてのトランの英雄そっくりの服を作って自分の息子にでも着せてるのかもしれない。
「いーえ、これは坊ちゃん本人です!グレミオには解ります!」
どこからそんな自信が出てくるのか。
ルックはため息を付いた。
そしてちら、と彼を見遣る。
本当に彼がそのまま縮んだようだ。
どこも変わらない、彼とどこも変わらない顔。
けれど彼は。
こんなに満面に純粋な笑顔を見せただろうか。
彼は本当に笑顔とは無縁な人で。いや、それは自分もなのだが。
彼の場合は面倒だから笑わないのではなく、なんというか。
自分が笑ってはいけないもののように見ている節がある。
笑ってはいけない。
幸せだと感じてはいけない。
いや、幸せになってはいけないのだと。
それは枷なのかもしれない。
自らの犯した罪の数だけ。
十重に積み重なる枷。
「このままの方が幸せなんじゃない?」
ぽつりと呟いた。
このまま何も知らない子供のままで、無邪気に笑えるままで。
こっちの方がもしかしたら幸せなのかもしれない。
「え?」
グレミオは驚いたように疑問を飛ばしたが、ビクトールあたり言葉の意味を汲んだらしく黙った。
こういうことに関してはやけにカンがいいのがビクトールだ。
曖昧な空気があたりを包んだ。
何ともいえない。
何もいえない。
そんなだくだくにまだらになった空気。
「るっく〜」
けれどそんな空気も邪気のない声に破られた。
小さい彼がルックに向かって手を伸ばしている。
それを受け取るようにルックが腰を落とした。
すると彼はにこりと笑って。
「ルック好き〜」
唇が重なった。
瞬間。
「っはー、直った。小さいのもいいけどやっぱり大きくないとね」
「ぼ・・・坊ちゃ――――ん」
「・・・・・・お前・・・・・・」
唯一言葉を発していないのは唇を当てられた標的の方。
驚いて言葉すら出ない模様である。
よく見ると肩が少し震えている。
けれどそんな事は気にせずにマクドール家の二人はわきあいあいと会話を続けている。
「坊ちゃん心配しましたよ」
「あっはは。やっぱり道で拾った封印球なんて付けるもんじゃないね。ジーンにちゃんと調べてもらうべきだったよ」
「ダメですよ、拾い食いしちゃ」
「やだなあ、グレミオ食べてないよ」
呑気なものだ。
ビクトールはというと、この先の展開がなんとなく見えて戸口に避難していた。
よくよく見れば酒場にいた大半もビクトールの後を付いて3人より遠くに離れていっている。
なるほど、それはとても賢明な選択である。
「・・・・・・君さ・・・・・・」
ゆらりと影が立ち上がった。
云うまでもなくルックである。
「ん?何?」
けれどそれをいとも簡単に捕まえて躊躇すらしないのが彼のすごいところかもしれない。
今だって別に怖がりもせずにこりと笑ってルックの前に立っている。
「ちゃんと記憶あったんだろ!?」
「あったよ」
しれっと答えてなおも笑顔な彼を目前に。
ルックは頭痛が起きた気がした。
夜半過ぎ。
真っ暗で、それでも松明で仄かに明るい廊下にルックは一人立っていた。
外は闇でこのまま溶け込んでしまいそうだ。
全てが一体化して、混ざり合って行くような。
曖昧に浮かんで揺らめくような感触。
窓の一つに手を置いてその上に顔を乗せた。
ヒヤリとした石の感触が覚醒をさらに引き寄せた。
顔を両手で包み込んで、目を閉じる。
言葉が浸透する。
あんな形でも彼の気持ちが解ったから・・・・・・まあいいか。
「るっくすき〜」
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