耳鳴り

 ざわざわと煩い音がする。
 これはどこから聞こえてくるのだろうか。
 外部からの侵入なのか、それとも。
 どこか壊れた所が軋んでいるのか。
 正常に動かないものはそれを理解するのさえ出来なくて。
 動くのさえも億劫になってしまったこの体には何をするにも耐えがたい。
 ああ、けれどただ。
 とてつもなくイタイ。

 イタイイタイイタイイタイ。
 耳鳴りがする。
 ざわざわしている。

「何で知らない所で生まれてるんだよ」
 開いた口から吐き出された言葉がそれだった。
 予告もなしに出された前後のない言葉にルックの頭は一瞬空白になる。
 彼の中で一体どんな風が吹いて何が彼にその言葉を連れてきたのか。
 いや、予告もなしにというのには御幣があるか。
 契機は確かにあった。
 そしてそれはルックの言葉だった。
 けれど彼がそんな言葉を吐いたのが意外で。
 だから頭の中で糸が絡まってしまったのかもしれない。

「今日誕生日らしいよ」
 何ともなしに言って見た。
 そう言った時の彼の顔が見てみたかったのかもしれない。
「誰の?」
 けれどそれとは裏腹に特に彼の顔は変わることがなくて。
 眉毛も髪の毛も睫の先さえも動きはしなかった。
 何か空ろになってしまったような感情を覚えて肩を落とす。
 倦怠感に似たようなだるさが一気に襲った。
 もう力を入れる気にもならなくて、ベランダの塀に寄りかかった。
 隣の彼はその塀に手を置いて湖の方を見ている。
「僕のだよ」
「ルックの?」
 そこで初めて彼が驚いた事にルックの方が驚いた。
 凭れていた背を思わず浮かせた。
 なんだかその表情が意外で、何か新しいものを辞書の中に収めたという気分がする。
「そうだよ」

 

「じゃあ、これあげるよ」

 

 彼は耳に付いていた赤い飾りをパチリと外した。
 赤い血の涙のような形をしたイヤリングが手に乗っている。
 けれど別になにかを貰おうとして言った言葉ではなかったし、ただ彼の見たことのない表情が見たかっただけだったから。
「いらない」
「そう」
 短くそれだけ言うと彼は手の中のそれを遠く投げた。
 赤い涙は放射線を描いて、水音が遠くここまででも聞こえた。
 ルックは驚いて塀から身を乗り出した。
「危ないよ、ルック」
「だって!」
「別に。君に受け入れてもらえないならいらない」
「だからって」
 どうしようもなくため息が漏れた。
 彼は時折、我侭にも似た自我をつき通す事がある。
 それは不要な羨望を集めてしまった反動なのだろうか。
 矛盾は心の中で黒い巣を作って。
 やがて躯全体に張り巡らされたそれは引き返す事も出来ないまま全ての動きを封じていく。
 気が付いたらもう、自分の思うとおりに何もかも動かなくなっているのだ。
 ルックは悪寒がしてふる、と姿勢を立て直した。
「ショック?」
 虚を突くように彼は唇の端を持ち上げて笑った。
「ねえ」
 嘲笑を少しだけ浮かべた。
 値踏みするような貌。

 耳鳴りがする。

 キンと嫌に冴え渡った音が耳から侵入して躯の中でくるくると動く。
 カンの触る所をいちいちつついて、我慢出来なくなる。
「別に」
 それが強がりだと自分で気づいていた。
 本当は欲しかったのかもしれない。
 彼に身に付いていたものを手に収めるという事をしてみたかったのかもしれない。
 自分にはおよそ似合わない遠慮をした結果がこれなら、初めからもらっておけばよかったのかもしれない。
 そんな中で、それでも自分が彼の物をもつというのに嫌悪感があったのも確かだ。
 耳鳴りがする。
「ふうん」
 相変わらずその顔を止めないまま。
 ルックは疲れたように塀に体重を預けた。
 彼が髪に触ったのが何となく分った。
 彼の指は風みたいに、さらさらと頭を動いていく。
 パチン。
 軽い金属的な音に驚いて顔を上げると、嬉しそうな彼の顔があった。
「何?」
 耳元でゆれる物がある。
 それを横目で確かめると先ほど底に沈んだはずの涙だった。
「驚いた?」
 先ほどの値踏みするような目はこれのせいか。
「相変わらず趣味悪いね」
「ルックに言われたくないな」
「生憎、僕はもっと素直だよ」
 先ほど湖に投げられたそれは彼の赤い涙ではなかったということだ。
 とっさに近場にあった石でも投げたのだろう。
 相変わらず芸が細かいと思った。
 というかただ単に嫌味なだけだ。

「何で知らない所で生まれてるんだよ」
 風のように彼の唇から零れた言葉がこれだった。
 その言葉の意味が解らずにただ彼の顔を見た。
 どんなに突き詰めても何も出てこないような顔をしていた。
 虚無しか見えない。何もない顔。
「僕は知らない。ルックが僕と会うまでどうやって過ごしてきたかなんて」
「カガリ・・・?」
「どこでどんな目にあってきたかさえも」
「・・・・・・・・・」
「ずるいよ、ルック」
 ばらばらと固まっていた物が解れてとけていくのが見えた気がした。
 全ては砂のように脆かったのかもしれない。
 けれど自分は所詮それを見ているしかなかないのだ。
「僕も君の事知らないし」
 そう言ってはみてもきっと重みが違うのだろう。
 天秤にかけても手を離した途端沈んでいくように。

 どこかで勝手に生まれて。
 どこかで誰かと出会って。
 知らない間に歳を取って。
 いつのまにか運命を共にした二人。

 それだけの事実。
 それだけの関係。
 ただそれだけに
 眩暈がする。
 耳鳴りがする。

 棘がある。
 君に対しては何もかもが全ては棘にしかなれない。
 平穏な日々を壊して、勝手に曖昧な願いを注ぎ込むだけの棘にしかならない。
 そして自分も彼のなかではその一部分でしかならない。
 けれど。
 その中でも。
 痛みの残せる棘になれますか。
 君にとって気に病んでならない棘になれますか。

 傷の残る棘になれますか。

 それを願っていながらも

 その関係に耳鳴りがする。


なんかあたしの坊ルクって変わらないですよね

関係が微妙っていうか、付かず離れずってかんじ。

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