大人になれない僕等

僕は大人になることを止めた
僕は自身の時間を止めた
僕は今境界線に立っている
僕は大人になれない子供 

 時間に置いていかれるってどういう事だろう。
 独りだけ成長しないってどういう事だろう。
 髪の毛が切らなくても伸びなくなった。
 服も小さくなるなんてなくなった。
 確かに自分の時間は止まっている。
 けれど、まわりが老いていって死んで逝くのが見えない今。
 まだそれが解らない。
 彼は・・・。この紋章を持っていた彼はどれだけの人が死んでいくのを見たのだろう。
 自分より幼かった子供が自分より大人になっていくのをどれだけ見たんだろう。

「なあ、ルック」
 涼しい風が頬を撫でていく。
 今日の月はとても大きくて俗に慈愛だとか何だとか云う光を振りまいている。
 例えそれが自分にとって何の救いにもならなくても。
 カガリは無言で隣に座る彼に声をかけた。

 先に屋上に居たのはカガリだった。
 城の連中はもう寝ているのだろう。
 もしかしたらビクトール辺りまだ起きているのかもしれないが。
 けれど屋上には人の影一つ見えなかった。
 ギリギリの縁にカガリは腰を掛けていた。一歩踏み出せば体がもう急降下を遂げる位置に。
 もしかしたら、自分は嫌に死にたがっているきらいがあるのかもしれないとカガリは自嘲した。
 その時。
「何してるのサ」
 背後から声が掛かった。
 振り向くと冷めた双眸で自分を見据える彼がいた。
「死にたいなら背中押すけど?」

「別に」
 それだけ言ってカガリは口を閉ざした。
 そして、月を見上げる。
 柔らかな風を伴って、嫌味な程曖昧な距離を置いて、彼は隣に座った。
 月の光は止むことを知らない。
 今までどれだけの願いをその体に受け止め、叶えられない代わりに光を注いできたのだろう。
 そんなに大きい存在を見ると、自分がいやに小さい存在か思い知らされる。
 そしてこの胸に巣食うわだかまりも。
 けれど自分にとってそのわだかまりは決して消す事の出来ない存在なのだ。
 ソウルイーター。

「なあ、ルック」
 カガリは先程から無言の彼に声を掛けた。
「何?」
「誰かが死んでいくのを見たことあるか?」
 自分で訊いて何だか変な質問だとカガリは思った。
 変だというより的を得てない質問のようだった。
「君だって見たことあるだろ。戦争中なんだから」
 カガリは苦笑した。
 確かにそうだ。確かに自分は死んだ人を見てる。
 自らのこの手で息の根を止めた事だってある。
 けれど今自分が訊いているのは、自分が欲しい答えはそれじゃない。
 笑ったカガリにルックは変な顔をして問うた。
 おかしなものを見るように
「何?何かおかしい?」

「そうじゃないんだ」
 歪んだ顔を戻して、カガリは云った。
 言葉は闇に消えていきそうなくらい静かだった。
「周りの人が普通に歳をとって死んでいくのを見たことあるかっていう意味だったんだ」
「ない」
 あっさりとルックは彼を切り捨てた。
「僕の周りはレックナート様しかいない。あの人死なないし」
 けれどそう言うルックの顔は心なしか歪んで見えた。
 何かが心にあってそれをわざと隠しているような。
 けれど聞いた所でこの堅固なる彼は何も言ってはくれないだろう。
 それにもしかしたら月のまやかしなのかもしれない。
 あえてカガリは何も言わない事にした。

「このまま、僕だけ変わらないのに、パーンもクレオも死んでいくんだな。と思って」
 それを見て自分はどう思うんだろう。
 僕は身長も髪の長さも、もしかしたら考え方も何も変わってないかもしれない。
 それなのに彼らは歳老いて死んでいく。
 自分より後に生まれたはずの彼らの子孫が、やがて自分を置いて大人になっていく。
 それを見て、自分はどうするのだろう。
 何を考えるのだろう。

「カガリは大人になりたいワケ?」
 総て見透かしたようにルックは言った。
 いつの間には彼は自分を見つめていた。
 月にあてられた彼の顔は綺麗で。幻想的な異物を見ている気分になる。
「大人になりたいなら大人だと思えば?世の中には体だけ大きくても子供みたいなバカもいるし」
 名前は言わないけど、とルックは付け足した。
「ルック?」
「そんな物差しだれも持ってない。身体的な成長は仕方ないけど、頭ン中は大人になれる」
 そしてその生き方はそれぞれ。
 例えばテッドの様に子供のフリをして生きていくのも一つの手なのだろう。

 自分の疑問が晴れた訳ではない。
 相変わらずこの頭の中は暗闇で一編の光さえ見えない。
 ルックの答えは自分が欲しかった答えそのものではなかったけれど。
 少しは掠っているような気がして。
 少しは闇も払われた気がして。
 カガリは微妙に離れていた彼を引きずり寄せた。
 しかめっ面されても厭わずに。
 そして月が映し出した唇に自分のそれを寄せる。

「何発情してんのさ」
 押し倒されてルックは嫌味に言った。
「別に?」
 カガリは不適に笑っただけだ。答えが降ってくる気配はない。
 カガリの影越しに月が見えた。
 月は人を狂気にする。ならば何故人は月に願うのか。
 それは月の優しさも知っているから。

 首筋に唇を寄せられて、ルックは瞳を閉じた。
 月に願いを。そう言っていたのは誰だったろう。
 例えそれが意味無き行為でも。例えほんの僅かな慰めにしかならなくても。
 人は月に願わずにはいられないのだろう。
 その姿が忘れられないから。

「あのさ」
「何?」
「僕こんな所でするのは嫌だからね」

 いつか人は必ず大人になっていくもの。
 ここで時間を止めてしまった僕らはこれからも子供なのだろうか。
 それとももう大人になってしまっているのだろうか。
 曖昧な境界線上で。僕らは立ち止まったまま。
 けれど人は変わっていけるものだから。
 この境界線から足を外す日がいつか来るのだろう。
 それが何時かは解らないけれども。
 僕らは大人になれない訳ではないから。

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