† | 永遠の延長 | † |
僕はきっと幸せ 受け入れてくれないと思っていた君が こんな自分を拒絶すると思っていた君が 唯一 僕を受け入れてくれたから 永遠の延長は きっとそれでも 永遠でしかない 何時もどおりの朝がまた戻ってきた。 外で鳥の声がする。 まだ見てはいないけれど、今日も良い天気なのだろう。 蒼穹は高く、まるで全てを囲むように暖めて、全ての生き物はその中に内包されて駆け回る。 けれど自分は今日もきっと、以前のように広いホールの一箇所でざわざわと騒がしい人々を見るのだろう。 物騒な武器を腰に携えた戦士や、走り回る子供や、出入りする買い物客。 いや、それは見ている訳ではない。 目に入ってくるだけだ。 ただ立っていると、目に入ってくるだけだ。 けれどそれは自分の仕事であるから。 石版を護るという、それは決められた仕事だから。 自分は今日もその場所へ行くのだろう。 (…別に四六時中いなきゃいけないって訳じゃないんだけどさ……) 何故かふう、と息を吐いて自室をの扉を開くと見慣れた顔がいた。 彼は壁に凭れてこちらを見ていた。 どうやらずっと待っていたらしい。 「…用があるならノックでもすれば?」 「ん…。何か、それほどでも ないかなって 思って」 引き攣った笑顔は裂けた花びらのようだ。 その断面から徐々に腐敗が始まる。 薄く茶色い染みが広がり始める。 「でも用があるんだろ」 朝の空気は少しだけ輝いて見える。 それが本当なのか錯覚なのかは解らないけれど、廊下の窓から注ぐ日差しは確かにキラキラと輝いてる。 この場にそぐわなく、光っている。 「お礼が 言いたかったんだ」 「お礼?」 「そう。何ていうかさ、ルックは否定すると思ったんだ。逃げ出す 僕の事」 …… ああ その事か。 ティント市でのネクロードとの戦いの前、彼は逃げ出そうとした。 それは決して怖気づいたとか負けるのが嫌だったとか、そんな事ではなかった。 それを理解っていた。 彼の姉は本当に彼の事を心配している。 不完全な紋章は使う度に彼の躯を蝕み、一つになることを望んでいる。 けれど一つになった先には永遠しか待っていない。 それは気が遠くなるほどただ同じ事を繰り返すだけの日常だ。 一日一日を確実に踏みしめても、先は滾々と続いている。暗闇の延長だ。 彼が倒れる度に、泣きそうに膨らんだ目をそれでも我慢している彼女を見てきた。 もうずっと目を覚まさないのではないかと、ぎゅっと手を握り締めて、何処へも行かず彼の隣に座っている彼女を見てきた。 だから、彼女がそんな事を言い出すのはきっと、至極当然の事なのだ。 『マユキ。おねえちゃんと一緒に逃げよう』 その言葉を受け入れる事は、総てを捨てる事。 彼を信頼している総ての事を捨てる事。 この国に生きて、彼に期待と希望を乗せる総ての人々を捨てる事。 けれど彼女にとってマユキは、世界の総ての幸せよりも大事な存在だったのだ。 軍主でもなく、英雄でもなく、リーダーでもなく。 彼女にとってはただの、大切な家族。大切な弟、だったのだ。 『……うん。 解ったよ ナナミ』 逡巡と躊躇と少しの苦悩。 けれど結局彼は彼女の手を取った。 自分の為にここまで辛くて、悩んで、震える手を差し出した彼女の その手を。 自分は助長した訳ではないと思っている。 けれど、結果的にはそうだ、助けたのだ。 ただ、何というか、彼の中に『逃げる』という選択肢があったという事に驚いたのかもしれない。 以前参加した戦争で、破壊的なカリスマを持つ彼にはそんな選択肢は思いつかなかっただろう。 総てを捨てて、逃げる、なんて。 だから。 驚いたと同時に彼らがこれからどうなるのかを見届けたかったのかもしれない。 世界を捨てた彼らがこれからどうするのかを見たかったのかもしれない。 それは周り廻って、自分への期待だったのかもしれないが。 総てを捨てて、紋章だけ奪って、あの檻の中から逃げた自分にこの先、何らかの救いがあるのだろうかと。 そして、彼らが救われるのならきっと自分も救われるであろうと。 そんな、確信もない淡い期待を持ってしまったのかもしれない。 「もっと さ。逃げるなんて最低だとか。そんな事いわれると思ってたんだ」 彼はきっと笑ったのだろうけれど、何故だかそれは乾いて張り付いていた。 元気いっぱいの笑顔から、元気いっぱいが抜け落ちてしまっている。 きっと裂けた花の茶色い侵食が、落ちることなく残ってしまったのだろう。 「だけど。ルックは逃げるのもアリだって言ってくれた。だから僕はあそこまで逃げる事が出来たんだ」 結局。戻ってきちゃったんだけどね。 乾いた笑いは彼の表面から剥がれ落ちる事なくへばりついたままだ。 腐食が進んでゆく。心の端からカタカタと固い音を響かせて。 「後悔はしてないんだろ」 「…どっち?逃げた事?戻った事?」 「両方」 「…………答えは どっちとも かな」 外からの木々のさざめきが、くり抜かれた窓から風と共に侵入ってくる。 微かな陽光は彼の髪を薄く薄く光らせている。 儚き。消え行くもののように。 「ただ…リドリーさんには………」 語尾は外へ出る事もなく彼の口内でしぼんで消えた。 彼の為に死んでいった命がある。 彼の為に消えていった人々がいる。 それを彼は理解している。 その、両の肩に圧し掛かる荷物をまた、彼は抱えて持ち上げなければならないのだ。 「…でも。後悔はしていないんだろ」 「…そうだね」 彼の髪を揺らす風は何処へ行くのか。 彼の体を縛るものの欠片さえも運ばずに。 何も乗せずにただ、風は流れてゆく。 「だから。嬉しかったんだ。ありがとうルック」 理解って欲しいなんて思ったことはない。 この、背負いきれない重圧を貰って欲しいとも思ってはいない。 それは総て自分が理解して自分が望んで背負ったものだから。 けれど崖っぷちの呵責に揺れる背中を、後悔のないくらい押し上げたのは確かにその言葉なのだ。 逃げるのも、いいかもね。 ただ、それだけが切れそうな糸を繋いでくれた言葉だった。 ただ、それだけがあの柔らかな手を取る契機になり得た。 ただ。それだけが。 どれくらい。 どれくらい。 延長したって、永遠には永遠しかない。 けれど永遠を延長したら。 そのなかった延長に、何かがあるのかもしれない。 それは期待出来るほど大きなものではないかもしれないけれど。 足早に駆けてしまえば見過ごしてしまうものかもしれないけれど。 けれど総てが必然ならば。 「それじゃあ」 くるりと踵を返しかけたその手を、ルックは思わず取った。 一瞬の衝動だった。 ただ、彼とどこか違う所へ行きたいと思った。 朝の空気が続いている間だけでも。 急に手を引かれてマユキは勢い良く後ろへ倒れこむ。 けれど予測していたかのように、ルックはそれを受け止めた。 後ろから抱きしめる形で。 その瞬間。 二人ともいなくなった。 後には何もなくなった。 影も形もなくなり、ただ。 ただ、変わらない日差しにキラキラと光る空気と。 窓から密やかに入り込む風だけがそこにあった。 「たまには違う所から石版見るのもいいよね」 マユキと二人、ホール入り口からかろうじて石版が見える塀の上に座って。 「ルックって石版見えるところにいないとダメなの?」 「…そういう訳じゃないけどね」 さざめく木々の葉が、顔に影を落とす。 少し汗ばんだ手を重ねる。 太陽が高くなってゆく時間。 それはもしかしたら。 永遠を延長した一瞬だったのかもしれない。 | ||
Jun/07 | † | 戻る |