花葬

花がひらひらと舞う
様々ないろに染められてゆくたくさんのひとたち
花がひらひらと舞う
それでも
君の涙は限りなく透明だった


 夏だというのに夜の空気はすっかり冷えていた。
 まるで昼間の熱気を全て冷たい底へ押しやるように。
 うだる暑さの中で燃やした物を全て失くしてしまうかのように。
 城から出てきたルックは少しだけ身震いして、辺りを見回す。
 薄く吹いた少しの風が、ルックのさらさらの髪を緩やかに靡かせた。
 きっと、多分、この辺りにいるだろう。
 ここがこの本拠地の中でも一番緑の葉が繁っている場所だから。
 彼はまた全てのものを全身に受け止めて、限りなく緑の中に身を潜めるのだ。
 その姿はあまりにも染まりすぎて、色の見えないルックはいつも見つけ出すのに難儀する。
 それに加えて辺りはもうとっぷりと闇に沈んで、城も今はまるで誰もいないかのように沈黙している。
 時折羽ばたいてゆく夜の鳥達の音だけが、遠くこだまするように聞こえるだけだ。
 そうしてじっ、とそこにいると、まるで自分が黒を溶かした水に沈められてゆく錯覚に落ちる。
 ルックは目を覚ますように頭をふって、 さくり、と土を踏み歩を進めた。
 杖の先に灯した心もとない灯りだけが、少しの先を照らす。
 冷たい夜気をすう、と吸い込んで肺を満たした。

「マユキ」
 彼はやはり、鬱蒼とした緑の影に包まれるように隠れていた。
 小さく呼ぶと、少しだけこちらを向いた。
 しかしここからでは暗くてその表情までは取れない。
 今はもう緑をなくし影だけになった木々の葉が、彼の顔をより一層黒く沈める。
 ルックはゆっくりと彼の隣へと進んだ。
 まるでその空間にぴったりと当てはまるように。
「やっぱり、ルックには見つかっちゃったね」
 絞りだしたような明るい声が却って彼を闇の淵へ沈ませる。
 そんな声が聞きたい訳ではない。
「見つけない方が良かった?」
「ううん。ルックは大丈夫」
 それでは誰ならば駄目だったのだろうか。例えば彼の義姉だろうか。それとも小うるさい軍師だろうか。
 そしてこの言葉には果たして自分への特別が含まれているのだろうか。

 ほわりと彼の右手が微かに光を灯す。
 手袋をしていてもその、小さいながらも主張のある光は見過ごせなかった。
 気づいて彼は手袋を解き、それを掲げるように眺める。
 薄い、白い光が紋章をうっすらと象る。
 黙って見ていればそれは、どんなにか神聖なものにみえるだろう。
 強大な力を意味するその光のかたち。
 けれど、所詮は、きっと 忌むべきものなのだ。
「どうして僕には力がないんだろう」
 多分その言葉はルックに問われたものではない。
 それは彼が彼自身と彼の幼馴染に問うたものだ。
 黒い剣をその身に宿してしまった彼の幼馴染。
 そして紋章の上でではあるが、彼の半身という意味も持つ。どちらかが力を使っても、倒れるのは共に、なのだ。
「この力があれば皆救えると思っていたのに」
 言葉の光はどこへも行けずに彼の内に戻った。
 空はどれくらい高くても、彼の問いを受け止めてはくれなかった。
 けれどその答えは、その意味は、その結果は、全て彼が生み出さなければいけないものだ。
 それは彼がよく知っている。
 だからルックにはただ、その少しだけ震える手を包んであげるしか出来なかった。

 冷たい風がまた、二人の間をすり抜ける。
 夏の暑さも、昼間の熱も、全てどこか遠くへ連れ去るように。
 向こうの川沿いで昨日、大きな戦があった。
 戦のあったところは今はもう焼け野原で、何の命も残ってはいない。
 流れた血は土を汚し、土に住まう生き物を汚した。
 川には人が浮き、下流まで赤く染まった。
 残ったものは、何のいのちも宿さない枯れた大地と、言葉にならないうめき声。
 それでも勝てたのならまだ少しの救いはあったのだろうが、昨日のそれは負け戦だった。
 だからここには何も残ってはいない。
 戦の果ての歓喜なんてどこにもいない。
 あるのはただ、悔恨と後悔だ。そして懺悔かもしれない。
 そして今日はその弔いで、先ほどまで死者を焼く火が上がっていた。
 爆ぜた火の粉はそれでも美しい花びらのようだった。
 弾けて飛ぶ、赤い花びらのようだった。
 彼は彼の役目としてそれを全て見届けなければいけない。
 彼のために死んでいった命を全て見なければいけない。
 泣く事も悼むことも出来ずただ、毅然と。

「花を沢山一緒に埋めたんだ」
 光る右手を仕舞い、小さな花をくるくると回して彼は云った。
 闇夜の中でもその黄色の花びらは、綺麗な光に見て取れた。
「あんなに痛い思いをしたのに、最後も焼かれるなんてさ…」
 彼の手から離れた花は、くるくると回って、下へ落ちた。
 けれど、ざあと流れた風がその花を持ち上げ、遠い空へ飛ばしていった。
 雲が波を立たせて、うっすらと光を灯していた月を隠した。
 辺りは闇に、落ちる。
「戦争をするという事はこういうことだって覚悟はしてたんだけどね。やっぱり勝つばっかりじゃないしね。でもやっぱり痛いなあ…」
 言葉の語尾から感じ取って、ルックは彼の目を塞いだ。
 泣いてはいけない。
 泣いてはいけない。
 戦争が終わるまで彼は、彼の為に死んでゆくいのちの為に泣いてはいけない。
 彼らの為に泣く事はもう、冒涜でしかない。
 彼らは、彼の為に死んでゆくのだから。
 彼らは彼を信じて、彼の成しえるだろう事を信じて、そして己の為に死んでゆくのだから。

 けれど手だけでは隠せきれず、ルックはその頭を自分の胸の中に抱え込む。
 押し込めた嗚咽が小さく、ルックにだけ聞こえた。
 彼が時折抱えてしまう闇は、小さいうちに落としておかなければこんなにも大きく彼を包んでしまう。
 誰も気づかなければ、きっと彼は彼岸の淵にたどり着いてしまうだろう。
 全てのものをいとも簡単にすり抜けて、あっという間に暗闇の底で膝をついてしまうだろう。
 ルックは手に力を入れた。
 誰も見ていない。
 自分しか気づいていない。
 神ですら見ていない。
 だから。
 だから。
 今だけは赦して欲しい。

 薄くて長い夜の雲が、ゆっくりと月の手を離れてゆく。
 猫が引いたような細い月でもそれなりの明るさを感じた。
 うっすらと色づいている目の、その睫の先の小さな雫にルックは唇を重ねた。
 これでもう誰も知る人はいない。
 明日の朝になれば、彼の瞳は赤かった事など忘れてしまうだろう。
 涙が通った路も、朝の冷たい水に消されてしまうだろう。
 だからもう、誰も知らない。
 誰も知らない。

「花を沢山植えたらいいよ」
「どこに?」
「昨日の あの河原に」
「………」
 そ、っと指が繋がれた。
 この寒空にでさえ暖かなそれは、彼の感情を自分に流し込む。
 それは言葉よりも多弁で沢山の想いが詰められていた。
 いのちが沢山消えたそこは、これから沢山のいのちを生むだろう。
 血で汚れた大地には沢山の色が生まれるだろう。
 慰めや悼みでしかなくても、それは手向けになるのではないだろうか。
 そこで消えていったいのちの為に。
 その消えていったいのちに、涙を流す人々の為に。
 いや、自分は他の誰かなんて別に気にしてはいない。
 ただ隣の彼が、そこを見る度に瞳を閉じてしまわないように。
 彼の涙がまた、同じ路をたどらないように。

 沢山の花は、いのちを彩る。
 沢山の人は、花に変わる。
 それは花葬と呼べるのかもしれない。。

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