† | 路〜LuC SiDe〜 | † |
君の瞳に空を見ていた。 還って来てからというもの本を読む量が多くなった気がする。 それは量だけの換算ではなく、時間も。 自分にとって空虚に過ごす時は全て読書に宛がわれるようになった。 何もしない時間なんていらない。 何かに没頭していないとやり切れない。 頭の中に常に何かを押し込めておかないと、あっという間に破綻する。 あっという間に解けてしまう。 空白なんていらない。 全てを関係のない事で埋めてしまいたい。 だってもう、そこに戻れないのだから。 その時間に行けないのだから。 君のいる時間に。 戦争が終結を迎え、彼は義姉や幼馴染と旅に出てしまった。 そうなる事はずっと知っていた。 誰も彼も何も云わなくてもそんな事は知っていた。 徐々に閑散となっていく城の中で、他の人たちも荷造りをしてく中。 そして当たり前のように自分だってここへ戻ってきたのだ。 まるで何事もなかったかのように。 最初から戦争なんてやってなかったかのように。 全てが遠い国の御伽噺のように。 元のこの、お気に入りのソファに収まった。 久しぶりの匂い。 久しぶりの感触。 体重に合わせて沈んだクッションが、暖かく自分を迎えて、包んでくれた。 けれど、頭の中では違う。 はっきりそう意識していた。 明瞭と、思考が回っていた。 空白が膨らんでいく。 飲み込まれていく。 飽和点を知らないかのように、もうはちきれんばかりの勢いで。 読みかけのページに押し花の栞を挟んで、ぱたりと閉じた瞬間。 それは巡って来る。 深く水底から遠い空を掴むような、憧れ。 闇に包まれた月が、決して逢えない太陽を焦がれる記憶。 そして、奔放な風がただ、その輝きだけには、凪ぐ。 慌てて他の本を開かないと。 急いで他の行動をしないと。 頭は急速に彼の事で一杯になってしまう。 彼だけがこの頭を支配する。 だから本の中に逃げた。 本に熱中する事で空をここから追い出した。 ただ一つ。 キャンドルだけの進入を赦して。 空はもういらない。 ただ、本とキャンドルがあればいい。 空はもういらない。 自分は闇の中で生きていく。 君の瞳に空をみていた。 あの頃を思い出して、思い出して、愛して、愛しても。 それは面影。 自分の中の虚構。 この心が作り上げた残像。 もう忘れなきゃいけない。 もう消さないといけない。 愛しくて愛しくて。 抱きしめたくて抱きしめたくて。 たまらないその感情を。 忘れてしまわないといけない。 引き止める事も出来ず見送った背中を。 今更掴みなおす訳にはいかない。 決めたのは彼。そして何も云えなかった自分。 決めたのは自分。そして何も言わなかった彼。 消せると思っていた。 そこだけぱっかりと空白を作ることは簡単だったはずだった。 孔が開いたように、そこだけ何もない空間。 なのに空白は広がっていく。 消してしまいたい思いや感情を内包して、膨らんでいく。 理由を作った。 簡単だった。 狡くても、君に逢えるならそれでいいと思った。 だって、君に会えない方が実際は何倍も。 辛い。 どれだけ何を考えても行き着く先には彼しかいなくて。 一生懸命他の事を考えてもふとした契機でそれはいとも容易く戻ってしまう。 思い出すのは大地のような甘茶色の髪。 陽に透かすとそれはキラキラに輝く。 全てを知っていてもそれでも笑える瞳。 くるくるとせわしなく動く表情、笑顔。 何にでも躊躇いなく触れる指先。 空気を受け止めるかのような両腕。 彼が自分に笑ってくれるのが嬉しかった。 どんな事を云ってしまってもついて来てくれる彼が。 どうしようもなく好きだったのに。 彼の場所を探すのは簡単だった。 彼の匂い。彼の存在。彼の持つ空気。 そして。 彼だけが持つ、少しのマイナス。 この感情は彼をどこまででも追いかける。 けれど。ふと止まる。 引き止める影の手。 彼の行く手を阻んでもいいの? 我欲に彼を巻き込んで、いいの? 愛しくて愛しくて。切なくて切なくて。 全てを飲み込んで、壊してしまいたいくらいに。 大切すぎて、欲しすぎて、堪らない。 だから。 見るだけなら。 結び目は簡単に解けた。 風に乗ってそこまで来ると、彼はもう立ち消えた火の前で小さく蹲っていた。 その背中はただの普通の少年。 きっと誰も、彼が”マユキ”だなんて信じやしないだろう。 木立の影からそっと姿を見て、逡巡。 したはずの決別と目の前に愛おしさに進める足も進めなかった。 見るだけだと決めた筈なのに、いまやこの口は彼の名前の形に開かれている。 が。 どうすればいいのだろう。 だって、そうだ。きっぱりと決めたはずなのだ。 それは彼だって一緒。 彼が幼馴染を取った時点で明瞭と決めた筈だった。 闇に戻ろうと思った。 ここで明るい空を見てしまったらもう二度と闇には戻れない。 「ルック・・・」 けれど 空耳が聞こえた気がした。 そんなはずないと思った。 彼が自分の名前を呼ぶなんてありえないと思った。 どこかの衣擦れの音か。 それとも魔物の声か。 自分の心が産んだ幻の声か。 せめてもう一度呼んでくれるように願った。 これが幻聴でないのなら。 もう一度呼んでくれるように願った。 「ルック」 「何?」 二度目の名前に返した言葉は早かった。 まるで自分のものの声ではないように、するりと口から零れた。 ゆっくりと彼の方へ足を踏み出してみるが、彼はこちらを向こうとしない。 確かに呼ばれた筈なのに。 確かに返した筈なのに。 怖くなって、けれどもう一度呼んで見る。 間違いでも何でももう。彼がこちらを向いてくれれば良かった。 「マユキ」 彼だった。 紛れもなく彼だった。 残像でもなく虚像でもなく。 そのまま形の彼がいた。 とてつもなく欲して止まなかった彼がいた。 「ルック」 「以外の誰に見える?」 彼が躊躇いもなく腕の中に飛び込んできたのが嬉しかった。 どこにそんな力があるのかと思うほど細い躯も。 さらさらの髪の匂いも。 何も変わらなかった。 太陽の匂いだった。 限りなく求めて止まない、空だった。 「ずっとずっと・・・会いたかったんだ・・・・・・」 「・・・うん」 「ずっと・・・ルックしかいなかったんだ。全部、全部、何を考えてもルックしかいなくて。何でルックから離れたのかってそればっかり考えてた・・・」 「うん、マユキ。だから迎えに来たんだ」 本当はそういう訳ではなかったのだが、マユキの言葉が嬉しくて本当にもう連れて行こうと思った。 彼を求めて考えあぐねてあんな思いをするくらいなら傍に置いてしまったほうがいい。 二人がいつも一緒にいたあの城には帰れないかもしれないけれど。 そこじゃなくても一緒にいられる場所ならどこでもある。 どこでもいい。 二人なら空すら飛べる。 「行っちゃうの?マユキ」 声に気付いて顔をあげるとナナミが立っていた。 その後ろには切ないくらいの闇が広がっている。 「ナナミ・・・」 「いっていいよ。だって、マユキ、ルックんのこと大好きだったもんね・・・」 彼女は笑顔だ。 けれど、言葉の端に少しの滲みが感じられた。 「だから気にしないで・・・。おねーちゃんは笑ってるマユキが好きなんだから・・・」 「ナナミ・・・ごめん」 滲みは緩やかに広がる。 緩やかに広がって、その波紋は他を侵食していく。 けれどその形は紛れも無く、笑顔だった。 ルックはマユキの手を取った。 終わっていない。 まだ、終わらない。 路は続いていく。 いつでも。いつでも。 彼がどこにいても。 必ず自分は追いかけてしまうのだろう。 彼を求めて止まないのだろう。 水底から空を掴もうとするように。 読書の時間は二人の時間に変えてしまおう。 言葉の無い空間も二人なら決して苦痛ではない。 木の葉から散在する太陽の光。 ふわりと揺れるカーテンの音。 青く抜けるような草の匂い。 マユキが隣にいてくれるのが一番のありのままの姿。 一番の自分でいられる姿。 君の瞳に空を見ていた。 |
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04/07 | † | 戻る |