魂の種

 存在がどこから来たのか。
 自分がどこからきたのか。
 そして、何処へ行くのか。
 君がどこから来たのか。
 君が何で出来ているのか。
 君の元は何だったのか。
 知りたいと思わない?

 所詮未来は、闇でしかない。
 その事を知っていても。
 所詮未来は、闇でしかない。
 その事実を見てきていても。

 君の夢を知りたいと思った。


 契機は一つの言葉だった。
 それまでは他愛のない日常のひとつ。
 流せるものもあれば流すべきものもあり、そして流せないものもあった。
 境は言うなれば薄い線。
 ヒトによって違う溝。
 それはある意味の心の壁。
 そして、思考の違い。
「ルックのお母さんてどんな人?」

 これが彼の質問でなければ、嵐でも呼び起こして切り裂いていたかもしれない。
 息の根を止めなくてもさらりと毒を吐いて思考をぶっ飛ばしてやったかもしれない。
 けれど飛び降りそうな淵を何とか静止して、ルックは言葉を飲み込んだ。
 きっと彼にとっては普通の言葉だったのだろう。
 何の重さも意味も持たない。
 普通に思いついてそして滑り出した言葉。
 城の住人にはそれぞれにちゃんと母親が存在しているし、その母親と共に住んでいるものもいる。
 彼自身が孤児で、例え母親を知らなくてもその存在は確かにあるのだろうし。
 もう朽ちているかもしれなくても、そうでなくても、母親はこの世界に存在していたのだ。
 しかし。
 世界の当たり前はルックの当たり前ではない。
 自然の理は決して彼を受け入れはしない。
 それは彼が摂理を無視して創造されたものだから。
 それは彼がすべての物を捻じ曲げて歪めて作り出されたものだから。

 もし、ソレがなかったら、自分はここに存在していたのか。
 もし、ソレがなかったら、自分は必要とされていたのか。

 蒼穹に点のような鳥が高く高くキィ、と鳴いた。
「まさかレックナート様じゃないよね?」
 それはご免だ、とルックは心中毒づいた。
 けれど確かにそれは母親という存在に一番近いのかもしれない。
 あの日。
 檻の扉を開いてくれた時から。
 それでもいや。
 母親というものは存在すらしないのだ。
 この躯を生み出したモノなどない。
 何処かに母親と呼べるものがあるとするならば、自分のパーツを包容していたあの器だろうか。
 それともぬるく、とろりとしたあの液体を云うのだろうか。
 ぞっ、とするような蒼い思いに背中が震えた。

「君は母親が欲しい?」
 誤魔化したかったのかもしれない。
 自分の種を彼に見せて、この手のひらから逃げ出されてしまうのが怖かったのかもしれない。
 隣の熱が気付かない間に冷めてしまうのが怖かったのかもしれない。
 彼の性格から考えて、そんな事はないと、予測は付いていたけれど。
 些細な可能性があるなら、それは回避するに越した事はない。
 けれど彼は簡単に操作されて、迷ったように視線をうろつかせた。
 そんな所もルックが彼を愛しいと思う要因の一つなのだけれど、こんなに単純でいいのかと時々不安にも思う。
 他人を簡単に受け入れるにも程がある。
 芯は強いのだと思ってはいるけれど。
「母親はいらない。誰だったかは知りたいと思うけど、今更母親はいらないよ」
 闇が線を引いた。
 遠くでシロの遠吠えが聞こえた。
 限りなく高く遠い、痛い声。
「母親以上に素敵な人たちがいるからね」
 彼は笑っているつもりだったのかもしれない。
 心を強く、決別を堅く、笑っているつもりだったのかもしれない。

 ぐい、と手を引き寄せたら、軽く躯が膝に乗った。
 無言でその熱を抱きしめたら、彼はそのまま頭を撫でてくれた。
 愛しい愛しい愛しい。
 彼が愛しくて堪らない。
 堪らない。

 無機質に造られた躯でも人を愛してもいいのなら。
 例え自然に還れるモノでなくても彼を愛していいのなら。
 例えソレを内包する役目だけに造りだされたとしても。
 彼を抱きしめる事が出来るのなら。

 その瞬間だけでもこの世で一番憎むべき人に感謝を謳えるだろう。
 切り裂きたい衝動を抑えられるだろう。
 例え、一瞬だとしても。




「もし僕が造られた存在なら?」
 何故そんな言葉が出てきたのか、ルックは自分でも解らなかった。
 彼が自分から離れて行きそうな要因は出来るだけ開かないようにしているのに。
 何故だろう。
 やはり、彼には全て知って欲しいとも思ってしまうのだ。
 この躯の種も。行く末も。
 そして世界の形も。
 だから出来るなら隠滅してしまいたいその事実を、それでも彼の耳に乗せてしまった。
 吸い取られたその言葉は彼の中でどんな風に回っていくのだろう。
 もしかしたら、血液が逆流するように、嫌悪感がめぐっていくのかもしれない。
 けれど彼には意味が解らないようで、軽く首を傾げただけだった。
「そうだね。人から産まれたものじゃなく、紋章のイレモノとして造られたという方が解り易いかな」
 手が震えているのを悟られたくなかった。
 だから唇に言葉を載せながら彼の頭をなでていたのかもしれない。
 僅かな動揺でさえも闇の中に隠してしまいたかった。
「人間じゃないの?」

 なんというか。
 少しくらいの顔色の変化くらい見せてくれてもいいのに。
 ルックは思っていた通りの彼の反応に笑ってしまう。
 いや、比率でいえば顔色を変えるが20パーセントで変えないが70パーセント。
 残りの10パーセントは逃げ出す、だろうか。
「人間の贋物かな……」
 それはやはり自虐の言葉だけれど彼の前だとそれすらも昇華されるから不思議だ。
 彼の前だとどんな汚れた言葉も綺麗なものに見える。
 それは彼が見せる一種の魔法なのかもしれない。
「だからルックは体も心もキレイなんだね」
 にこり、と笑った彼の日向はとても暖かくて。
 やはりこの瞬間だけはあの人に感謝すべきなのかと思った。
 例え自分がその人の贋物だとしても。
 例え自分が忌むべき存在だとしても。
 つ、と作り物の頬を彼の指が滑った。
「君は嫌じゃないの?」
「何で?ルックがどんなもので出来ていてもここにいるなら嬉しいよ」
 例え人間じゃなくても。
 例え、堕ちた天使でも。

「それに、僕だってそうかもしれないしね」
 凡そ有り得なさそうな言葉が彼の口から零れた。
 いや寧ろ、そんな事ありえない方がいい。
 こんな体は自分ともう一人で十分だ。
 仕組まれたこの双子だけで十分だ。
 彼にまでそんな鎖を課せる事はない。

 彼が自分の頬を撫でるのを止めないので、自分も彼の頬を撫でてやった。
 少しだけ高い体温が指先に伝わる。
 凍ったような体の緊張感が緩く溶けていく気がした。
 知らない内に恐怖を覚えていたのかもしれない。
 吐露してしまう事に。
 いやそれは、いつもそれ自体が恐怖なのだ。
 例え鳥が大空で飛ぶことが美しいと知っていても、それでも籠に込めてしまいたいと思う衝動。
 自分の彼への想いはそれに似ているのかもしれない。
 だから籠から出す事も躊躇われるのだ。
 彼にとってそれが最良ではないと知っていながら。
 それでも彼を閉じ込めてしまうのだ。
 彼が自ら進んで籠に入ってくれる優しさに甘えながら。
 そして、彼が決してこの手から飛んで行きはしない事を知っていながら。

 それでも飛ばしたくないのだ。
 それでも離したくないのだ。
 それでも。
 それでもこの手を繋いでいたいのだ。

 例え血に塗れた手だとしても。
 彼を汚してしまうと知っていても。

 止まらない彼の手を握って、その唇を軽く食んだ。
 そのまま下唇を舌先で舐める。
 彼の背中が震えたのに、熱が上がった。
「作り物なんて僕だけで十分だよ」
 衝動が彼を浸食していく。
 再び重なった唇は、止まらない。

 自分が何処から来たかなんてどうでもいい。
 知りたいと思っていた事は事実だが、知ってしまえばそれはもう芥でしかない。
 高尚な過去でないなら、自分が要らないと思ってしまったのなら。
 それを消してしまう権利があると思う。
 だからといって違う過去を置換する事は無理に等しいけれど。

 それなのに想う。
 この忌まわしい躯の行き着く先が彼の元ならば。
 捨ててしまいたい種でも救われると。
 魂は救済されたと。

 彼に触れられる躯を持てた事で。
 この魂は救われる。

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