僕の腕は細くて白い。
君の腕は力強くて、すこし太い。
例えば僕が君を抱き上げたり。
違う道へ行こうとするのを引き寄せてみたり。
そういう事が出来ないのは。
何故か少しだけ嫌な気分を覚える。(攻めとして)

「やあ、ルック」
 いつのも石版の前。
 そしていつもの貌の前。
 そこに見慣れない顔が一つ加わっていた。
 突然現れた彼はにこにこと不適な笑みを浮かべている。
「何か用?」
 ルックは彼の顔を一瞥して息を付く。
 彼が来るとまずろくな事がないのは解っている事だ。
 一番やっかいなのは当人がそれを面白がってやっているのと、ここのリーダーがそれに気付いていないことか。
 これからの、自分の精神に異常をきたすくらいの事が容易に想像できてルックはまた息をつく。
 いっそ出入り禁止にしてしまいたいくらいなのだが、ここの主の事を思えばそれも出来ず。
 例えば不要に戦ったとして結果は目に見えている。
 ソウルイーターは厄介だ。
「つれないな。久し振りに会ったんだし、労いの言葉くらい掛けたらどう?」
「君に労うなんて僕がすると思う?」
 そして全く久しぶりでもない。
「全然」
 ああ、そう。とルックはまた息を付いて石版に凭れた。
 解ってるんなら始めから言うなよ・・・。
 まるでこの心中を表すかのように、見上げた天井は吸い込まれるくらい闇色に近くて。
 ルックの内は更に暗くなる気がした。

「マユキの姿が見えないけど?」
 わざとらしく辺りを見回して、彼はそう言葉を吐いた。
 だからどうして彼の事を自分に聞くのか。
 自分は彼のスケジューラーではないのに。
 それに当然の様にその言葉を口に出すのがまた、何とも言えず嫌だった。
「知らないよ」
「そう。いつもここにいるのにな・・・」
 くるりと周りを一瞥してカガリは簡単にこういうことを言ってのける。
「マユキに会いたいなら部屋に行ったら?」
「マユキは大抵部屋にいないじゃないか」
 あっけなく切り返されてルックは言葉を出すのも疲れてしまう。
 軽い眩暈と頭痛がするのは気のせいだろうか。
 そして、どうして彼がこうも簡単に彼の行く先を言えるのか。
 それが不思議でもあるし疎ましくもある。
「マユキはいないんだから、どっか行けば?」
「やだなあ。ここにいればマユキが来るに決まってるじゃないか」
 くらりと視界が回ったような気がした。
 まったく自分に平穏の文字が来る日が永遠にないのかとも思われる。
 この相手には返論するのも疲れてしまう。
 ルックがいい加減疲れてどかりとその場に座った時・・・・・・。

「ルックーん!!大変なの、助けて!!」
 騒々しい足音がそれを遥かに上回る大声と共に現れた。
 ルックは一瞬疫病神が二人に増えたかと思った。
 けれど例えその言葉が”ルックん”であったとしても、彼女の語気はいつものそれではなく、何か鬼気迫ったような、酷く慌てているようなそんな言葉だったから。
 ルックは落ち着けていた腰を上げて上方を見上げた。
「何?ナナミ?」
「ルックん。マユキが!マユキが!!」
 早かったのはルックの方だった。
 そう、この時までは。
 確かにルックの方が早かった。

 彼は目を閉じて。
 意識なくそこに倒れていた。
 まるでとても綺麗な人形の様で。
 清純で崇高なもののように見えた。
「雛を巣に返そうとして・・・そのまま落ちちゃったの!目覚まさないし・・・!どうしよう、ルックん!」
 城の隅にある、木の下だった。
 ナナミの気を構いともせずに、木々の葉は穏やかにその音を鳴らして。
 ざわざわと影が揺らめいてそこかしこに光と影を散在させる。
 陽光の輪が、葉の穴が空くたびにその横たわった彼に降り注ぎ、注意してみなければまるで彼は寝ているようにも見えるのだろう。
「落ち着いて、ナナミ・・・とりあえず・・・」
 その先を言いかけて、ルックの唇はその言葉のままに止まった。
 情景が頭に影を生む。
 それはまるで熱に当てられて焦げ付いたように心から消えてはくれなくて。
 チリチリと燻って、黒い闇を生む。
「ナナミ。マユキを部屋に連れて行くから、先導して」
 いとも簡単にカガリはマユキを抱き上げた。
 王子が姫にするような抱き方で。
 ルックの時間はそこで止まって。
 葉のざわめきが聞こえる。
 影が、光が、自分の貌や体のそこかしこにちりばめるように広がっていく。
 ゆらゆらとざわざわと揺らめいて。
 心の影が音に合わせてじりじりと大きくなる。
 ルックは口腔に溜まった息を吐き出すのが精一杯だった。

「じゃあ、僕はそろそろ帰るから。また来るよ、ルック」
 もう来るな、とルックは内で呟いた。
 何かを口にするのがもう鬱陶しくてならなかった。
 これくらいで闇を抱えるなんて馬鹿らしいと思うのだけれど、それでもその闇は侵食してきて。
 ぼろぼろと焼き付けて焦げた先が零れてほつれて落ちていく。
「マユキは大丈夫だって」
 別に何も言ってはいないのに、そうやって見透かすように言われるのもたまらなく嫌だ。
 鬱陶しい、ざわざわする。この感情は何なのか。
 答えにもう気付いてはいるのだけれどそれを認めたくなくて。
 認めてしまうと負けてしまうような気がして。
 何に負けるとかそういうのは定かではないのだけれど、たまらなく蠢く自分の内。
 それから遠ざかるように俯いた。
 そして一言。
「さっさと行けば?」
 それでもカガリは口の端を持ち上げて。
 ク、と笑うと踵を返した。
 勿論その笑顔をルックは見てはいなかった。
 そして影は遠くなった。

 夜半過ぎ。
 冷たい床の上で石版に凭れ、ルックは膝を抱えるように座っていた。
 真正面向こうの、外への扉は既に閉められており、酒場からも音は聞こえない。
 来るべき朝を迎える前の薄く膜を引いたような静かな時間。
 周りに浮かぶのはただ、闇だけで。溶け込むようにルックは身を小さくする。
 と。
 何か物音がした。
 上方から微かな音が聞こえた。そして。声。
「ルック!?」
 ピクリと肩が反応する。今一番聞きたくなくて、そして。いつも欲している声。
 けれどルックは貌を上げる事も、音を鳴らす事もしなかった。
 面倒だとか億劫とかそう云うことではなくて、ただ。
 そうする事がとても厭だった。
「いないの?ルック」
 マユキの言葉にルックは安堵を哀切を感じ。
 そのまま行ってしまう事をなんとなく願った。
 けれど。
「なあんだ、いるじゃん」
 言葉の近さに驚いて、半ば反射的に顔を上げた。
 そこには見慣れた顔が笑みを持っていて。
「マユキ・・・・・・」
「うん。心配させたみたいだから、謝りに来たんだ。ごめんね」
「別に・・・・・・」
「うん。カガリさんに助けられちゃって、ごめんね?」
 ルックはその言葉に固まった。
 つまりあっちの謝るは口実で、こっちの謝るが本音だったということか。

 ペタリとマユキはルックの隣に座り込んだ。
 ふわりと消毒臭い匂いがした。
「うわ、ルック。寒くなかったの?ずっとここにいて」
「・・・・・・別に。君こそ寒くないの?」
「そうなの?僕体温高いからかな〜・・・。あ、でも今は大丈夫だよ」
「何でさ」
「ルックがいるからね」
 そう云って無邪気に笑う彼を見て、何故だか心の闇は全て流れてしまったように思えた。
 そう考えるとなんて自分は単純なのだろうか。
 けれどまあそういう得体の知れない想いもたまにはいいのかもしれない。
 焦げた影は光に消されてしまった。
 からからに渇いてひび割れた物はその間に水を潤して。
 闇はいなくなってしまう。

「今度は僕が助けるから・・・・・・」
 誰にも聞こえないくらいの小さな声で。
 そう呟いた。


未詳 戻る