惰眠

最近嫌な夢を見る。

 まだ空が白み始める前にうっすらと目が覚めた。
 最近嫌な夢を見る。
 叶って欲しくない未来が迫ってくるような夢だ。
 例えばこの戦争の敗北。
 共に戦った仲間達の死。
 捕らえられた妹。
 そして制裁を与えられる自分。
 最近嫌な夢を見る。
 そのせいで眠れない、という訳ではないが、目覚めは良いものではない。
 眠るたびに疲れていくようなそんな感じだ。

 開け放したままのカーテンが、冷たい風で持ち上がった。
 がらんとした自室に新しい空気が広がる。
 けれどそれも。覚醒を呼び起こすにはまだ小さかった。
 きっと彼が一緒なら眠れるのに、と、王子は枕を抱え込みそう思った。
 彼が隣にいてくれれば眠れるに違いない。
 嫌な夢もその時だけは退散してくれるに違いない。
 彼と一緒にいると自分はひどく幸せな気分になってしまうから。

 王子は息を吐いて、水差しの水を一杯飲んだ。
 夜明けまでまだ時間がある。
 もう少し眠っておかなければ、会議の時ルクレティアにまた何を言われるか解らない。
 それに自分の状態が、城内の人全てにどんな影響を与えるかを知っていた。
 自分には強い意思があって、戦う意味を持って、そして笑顔でなければならなかった。
 万人を勝利に導く、笑顔を持っていなければならなかった。
 けれど。
 ユエは自虐的に笑う。
 少し前までは、この国にとって自分はいらない存在だったのに。

 ユエは少し固いベッドの上でころりと寝返りを打った。
 こうしていると嫌でも悪い考えが浮かんでくる。
 今頃妹はどうしているだろう、とか。
 本当にこの戦争に勝てるのだろうか、とか。
 この紋章に気に入られた躯はどうなるのだろう、とか。
 いやしかし。それは考えていてもどうしようもないのだ。
 ユエはまた息を付いて寝返りを打ち、枕に顔をうずめた。
 眠りの音は非常に遅く近づいてくる。
 こちらが待って待って呼んでもそれはうろうろしているだけなのに、疲れて呼ぶのを止めた途端それはまるで乗り移るかのようにこの身に覆いかぶさってくる。
 そうしてようやく、暖かな息を零す事が出来るのだ。

 嫌な夢を見た。
 誰かが殺されてゆく。
 それは自分ではない、違う誰か。
 茶色の髪。金色の目。
 ああ、そうだ。それは。
 自分が欲して止まない彼だ。
 自分と同じ貌をした。違う彼だ。
 辺りに赤い液体が飛び散って、自分の頬に跳ね返る。
 彼の体がゆっくりと地面へ落ちてゆく。
 こんなのは違う。
 死んでゆくものは彼ではない。
 いなくならなければならないのは、必要とされていない自分なのだ。

 瞬間。
 衝撃が背中に広がった。
 うすら遠くで自分を呼ぶ声もする。
 それは矢鱈と懐かしい音で、自分が求めて止まない何かだった。
 薄く目を開くと、眼前には先ほど殺された彼がいた。
 地面に赤い液体を流していた筈の彼がいた。
「ロイ…?」
 少し体を起こすと、自分の銀色の髪がばさりと流れた。
 慣れた顔を見て、やはり先ほどのは夢なのだと理解する。
 いつものまた。悪い夢だ。
 見たくもない、悪い夢だ。
 ちゃんと今そこには、自分の好きな彼が居る。
 呼吸をして喋って、考えて、動いている。
「朝だぜ。起きろよ」
 ぶっきらぼうにそう告げて、しかし彼はその場から去ろうとした。
 けれど反射的にその腰の布を掴んで引っ張る。
 考えるより先に、手が彼を求めて動いた。
 そして案の定見事にバランスを崩した彼は、自分のいるベッドに倒れこんでくる。
「何すんだよ!」
 大声で喚くがそんな事どうでもいい。
 ユエは両腕でしっかり彼を抱え込んだ。
 今、彼を放したらそれこそ死んでしまうのではないかというくらい強く。
 何処へも逃げられないように。
 もっともっと、ここに居てくれるように。
 彼の熱が腕から伝わる。
 朝の空気がそれだけで淡く緩む。
 自分の体もゆっくりと緩んでいく。
 どうしてだろう。
 本当に、彼が大好きだ。
「好きだよ、ロイ」
 起きぬけの擦れた声しか出なかったけれど、それでも彼の耳元で呟いた。

  「だからもうちょっと寝かせて」
 抱きしめたまま、ユエはベッドに再び倒れこんだ。
 ロイを巻き込んで。
 それでも出てゆこうと彼はもがくが、このしっかり抱きしめた腕から逃れる筈もない。
 いくら華奢とはいえ、非力ではないのだし、ロイとしては一騎打ちで負けた身だ。
 それにロイの方にも少しの感情は加わっている。
「放せよ、王子サン」
「いーじゃん、一緒に寝ようよ」
 いい加減諦めて抵抗を緩めればいいのに。
 だって、自分は絶対にこの手を放したりなんかしない。
 彼が生きてここに居てくれるなら、絶対に放したりなんかしない。
「たまにはゆっくり起きるのも必要だよ」
「ンな事ゆーならもう起こしに来ねぇからな」
「…それは大問題だね。僕はロイ以外だと起きないから」
 腕の中で彼が大げさに息を吐くのが解った。
 諦めたのだろう、筋肉の張りはもう感じられなかった。

 彼が隣で寝てくれるなら、悪い夢はきっと退散してゆくだろう。
 彼が隣で寝てくれるなら、幸せな夢が見られるだろう。
 彼の隣でしか眠れない。
 彼の声でしか起きられない。
 例えそれが我侭でも、それは彼が大好きだから。

 周囲を包む空気が、彼と同じ温度になってゆく。
 吐息が重なってゆく。
 惰眠を貪る、それがいい。
 そして隣に彼がいてくれるなら尚更いい。
 きっと幸せな夢が見られるだろう。



ロイ王の日限定に出した「惰眠」の王子側バージョン

見られなかった方は、これでロイ側を想像して下さい。

王ロイですが、ロイ側からはロイ王なので、

気持ち的王ロイ(王)ということで(何それ)

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