† | 君の居場所 | † |
その背中は空っぽで何も感じなくて。 彼も同じ人間なのだと思った。 儚い、とか消え入りそうとか、そんな言葉では言い表せない。 ただ。彼から見える感情は何もなかった。 それだけだった。 「王子が、いなくなっちゃいましたぁー!!」 この世の終わりのような声を出して、ミアキスががくりと膝を突いた。 この場合、勢い良く落ちた膝が痛そうだ、とか思ってはいけないようだ。 まあ、彼女の場合は堅固なる防具がそのショックを和らげているのだろうけれど。 そしてこの場にいる誰も、自分と同じ事を考えてはいないだろう。 きっと皆は、彼女の言葉の中身の方を気にしている筈だ。 一瞬のどよめきも、感嘆符も王子がいなくなった事に対するものだろう。 それもそうだ。 王子というのはこの軍の主の事なのだから。 新女王の奪還は失敗に終わった。 それどころか、仲間の裏切りに、身内の負傷。 事態は最悪と云ってもいい。 しかも裏切った仲間というのは王子の叔母でもあった人だ。 ソルファレナが敵の手に渡ってからずっと、王子の隣で彼を見守って来た人だ。 そして負傷した身内である彼の護衛は未だ目を覚まさず、意識の中で漂っている。 それに対して自分も少なからず思うことはあるのだけれど、それは今、気にする事ではない。 あの城から共に彼と過ごして来たゲオルグもサイアリーズもリオンも、今は王子の隣にはいない。 きっと彼は急激に独りになってしまったのだろう。 家出したくなる気持ちも解らんでもないな、とロイは遠く思った。 彼は今までも独りだった。 けれど今、彼は確実に独りになったのだ。 『僕はいらない子だったから』 いつか、苦笑するように云った彼の顔が思い出される。 幸せにぬくぬくと生きてきたであろう王子を想像していたロイにとって、ショックな言葉だった。 同じなのかと思った。 同じなのだと解った。 レインウォールで貴族の上澄みを掬って生きてきた自分と。 疎外感と孤独と表裏の顔に囲まれて生きてきた彼と。 いや、親や兄妹がいる分まだ彼の方が幸せか。 だがそれも所詮どんぐりの背比べだ。 可否を付けるものでもない。 ロイは息を付いて、軍義の間からそろりと抜け出した。 こんな状態だから、隅で眺めている偽者が独り出てきた所で誰も気にはしないだろう。 背中の向こうで、まだわあわあ言っている彼らの声が小さくなっていった。 ロイは何を考えるでもなくただ、遠回りをしてビッキーの所へ向かった。 軍義の間からはそのままえれべーたーを降りれば着くのだが、そうはせず、珍しく階段を使った。 一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと。 原材料が何か解らない、古代遺跡の階段は、冷たく靴音を鳴らした。 それから外に出て、円堂をぐるりと降りて、そちらから本塔へ戻った。 陽光は途端に地下の据えた匂いに変わる。水の匂い、とも云うべきか。 別に何かをしたかった訳ではない。 ただ、時間を稼ぎたかった。 いや、時間をあげたかった。寧ろそちらが正しい。 王子の居場所なんて見当が付いていた。 この塔のどこにもいない。 そうなったら、彼の行きたい所なんて一つしかなかった。 「ビッキー」 「わ。何でしょう?ロイくん」 彼女は隠し事が得意ではないらしい。 あまり話した事はないが、表情ですぐに理解る。 いやそれとも、自分の洞察力のせいなのだろうか。 どちらが真実なのか、ロイには良く解らないしどうでもいいことだ。 「王子サンの居場所、知ってンだろ?」 「な…何の事?」 チ、とロイは舌打ちした。 どうやら彼はビッキーに口止めをしたらしい。 それは完全なる逃亡を計画してのことだろうか。 そうだとしたら、行く先を彼女に知れている所でもう終わっている。 自分は、諦めたりなどしない。 「頼む。オレも連れてけ」 「だ…だから知らないよ」 「王子サンはオレなら絶対いいっつーから」 根拠のない自信だが、あながち嘘ではないと思う。 自分だけが彼の闇に踏み込める。 ロイはそう、自負していた。 「うぅ〜…。しょうがないかぁ……」 約5分程の睨み合いの末、ビッキーが大きく息を吐いて折れた。 ビッキーにしてみればこんな凶悪な顔で、ずっと傍に立っていられたら迷惑以外の何者でもない。 しかもそれが王子と同じ顔なら尚更だ。 「それっ」 くにゃりと世界が捻じ曲がり、その中に自分も溶けたような錯覚を覚える。 瞬間移動の感覚は何度やっても慣れない。 そういえばこの魔法には呪文というものはないのだろうか。 魔法は得手ではないが、これは持っていたら便利だろうなと思った。 と。 世界が変わる。 ロイは息を吐いて辺りを見回した。 見たことのある場所か、と訊かれたらあるような気もするし、ないような気もする。 けれど、向こうに聳える建物は見慣れていなくても知っている。 この国の者ならば。 建物が良く見えるほうへ、がさがさと草を鳴らして歩を進めた。 彼はこの場所から幾らか移動したようである。 どうせなら王子の場所に移動させてくれればいいのに、と思ったがそれは無理な相談だろう。 王子が行った所へ送れ、と言ったのは自分なのだから。 遠くに人影が見えて、ロイは目を細める。 それが探し人の後姿だと理解するのに時間は掛からなかった。 あんな格好をしている人はそうそういないだろう。 やはりここに居た。 いや、ビッキーに”王子の所に連れてゆけ”と言ったのだからここに居るのは間違いないのだ。 ロイが思っていた場所が、やはりここだった、という事である。 あの建造物を見る限り、ここはロイの思ったそこなのだから。 その背中は空っぽで何も感じなくて。 彼も同じ人間なのだと思った。 儚い、とか消え入りそうとか、そんな言葉では言い表せない。 ただ。彼から見える感情は何もなかった。 それだけだった。 「やっぱここだったな」 声に、彼は笑顔でもって振り向いた。 「解った?」 痛い、貌だとロイは思った。 表情に虚勢が塗りこまれてどうしようもなくなっている。 まあ、この現状を見るに、それはどうしようもない事なのだろうけれど。 彼はロイから目を外し、また、その建物を見た。 「皆心配してんぜ?」 「だろうね」 風が二人の間をすり抜けてゆく。 それは冷たくも暖かくもなく、ただぬるかった。 「戻らないのか?」 無言がロイに重くのしかかった。 自分から問うた質問なのに、答えを聞くのが恐かった。 肯定を言われればそれまでだ。そして自分にそれを覆せる魔力は持っていないだろう。 「いや。ただ、見たかったんだ。今、あれを」 あれ。 この国の者なら誰でも知っているその建造物。 隣の彼が育った家とも云える、ソルファレナの城。 塔の中の何処にもいないなら、きっと彼はソルファレナにいるのだと思った。 どこの街も彼には大切だろうけれど、彼が一番戻りたいと願うのはきっとそこだ。 ファレナの中で唯一彼が求めて、且つ彼を受け入れるのはソルファレナだけなのだ。 彼はそのために戦うのだから。 例え女系でいらない王子だと揶揄されても。 それでも彼はこの国が好きなのだ。 家の持たないロイにはそれが少し羨ましい。 「帰ろうか」 その、終わりの言葉にロイは安堵した。 「気が済んだか?」 「うん。ありがとうロイ」 礼を言われるような事はしてないとロイは思うのだが、彼が言いたいのならそうしておこう。 それに。 「お前はいらない奴じゃねぇからな」 そうかな。と彼は苦笑して、懐から手鏡を取り出した。 まだ。抜け出せていないらしい。 闇はきっといつでも彼の隣に潜んでいる。 いつでも彼を飲み込もうと様子を覗っている。 一瞬でも隙を見せたら、かくりと彼は堕ちるだろう。 衝動的にロイは彼の躯に腕を回した。 突然抱きしめられてユエは驚く。さあ、と頬に朱が流された。 「な…なに…?」 けれどその問いに誰も答えを提示しなかった。 ただ、風だけが流れた。 本拠地に着くなり、ミアキスが飛ぶように駆けて来て、何処行ってたんですかぁ!、と大声で叫んだが、ロイとユエは顔を見合わせて笑っただけだった。 けれどルクレティアは大分気付いているようで、こっそりロイにご苦労様です。と告げた。 家出とは言ってもたかだか数時間の事だし、王子本人にしてみればすぐに帰ってくる予定なのだろうから、ご苦労様でもなんでもないとロイは思った。 自分はただ、連れ帰るという名目で、付き合っただけなのだ。 寧ろ自発的に。 だから礼を言われる筋合いはない。 けれど、この場所に彼が居ないよりは、居るほうが格段に良い。 ロイは知らず、少しだけ笑んだ。 夜半に扉が鳴った。 そんな予想はしていなかったけれど、きっと彼だろうなとロイは思った。 こんな時間でも遠慮なしに訪ねて来れるのは彼だけだ。 「何だよ」 扉を開けて少し乱暴に言った、こんな時間だし、それは仕方のない事だろう。 言葉のせいか、彼はばつの悪そうな顔をして、俯いた。 途端ロイは罪悪感に胸を満たす。 ずるい、と思う。 「今日。ありがとう」 「礼を言われる覚えはねぇよ」 「でも。ロイが来てくれて嬉しかったんだ。良く 解ったね」 「城にいねぇんなら、そこしかねぇと思ったんだよ」 少し考えれば誰でも判る問いだと思う。 どう考えたって、彼の行きたい処はそこなのだし、そこは人目を気にしなければ行けない所ではない。 うえの連中は頭が固いだけだ。敵地だから行けないと思い込んでいる。 「そういう風に解ってくれるロイが、僕の居場所なのかもね」 告げて、ユエは踵を返して駆けて行った。 冷たい石の床にその足音がこだまする。 そのままするりと、その姿は闇に溶けていなくなった。 ロイはそのまま闇を見つめた。 その、彼の言葉の意味を汲み取れずに。 どういう意味なのか。 それは、自分がいるこの本拠地が、という事か。それとも。それとも? ああ、もしかしたら彼は本当にそうするつもりだったのかと、思う。 だから、そんなにもしつこいくらいに礼を言うのか。ルクレティアも。 いや、例えそうだったとしても今ではもう答えは向こうの淵だし、聞く事もない。 訊ける わけもない。 そして、根拠も確証も何もない。 ふうと、息を吐いてロイは自室に戻った。 付いて来た暗闇がするりと扉から進入する。 ロイはただ、唇を噛んだ。 けれど彼が居場所だと言うのなら最後まで付き合って、最後まで此処に居る。 どれだけの人が死んでも、いなくなっても、きっと自分だけは消えない。 自分だけは此処に居る。 彼の居場所の為に。 |
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ちょっと、ちゃんと、ロイ王です(笑) 家出をする王子を書きたかった。 そして、独りだけ居場所が解るロイ。 | ||
Jul/06 | † | 戻る |