Kiss!Kiss!

 妙な奴に気に入られた、とロイは息をつく。
 隣を見れば今日もまたそこに彼はいる。
 当たり前のようにそこで座っている。
 軍主であり、ここ、ファレナの王子であるユエが。

 暇だし何もする事もないし、天気もいいしで、ロイはセラス湖をぼんやり眺めていた。
 相変わらず湖というものは荒れることがない。
 陽光を水面で反射させてキラキラと金色に光る。
 そして時折魚が跳ねるのか小さく水音がするだけだ。
 こんな物を見ていると、世界は平和で、遠くの戦争の音は聞こえなくなってしまう。
 馬蹄の音も誰かの鳴き声も、火の音も、違う国の音に聞こえてくる。
 けれど、いややはりここは戦場なのだと頭を振る。
 打たれる鉄の音も、威勢の良い掛け声も、交わる剣の音も。
 それは幻聴ではなく、ほんとうの話。
 本当の事。今ここで起こっている、ほんとうの世界。

 ぱた。
 何だか思考に嵌って気付いたら、いつの間にか隣にここの王子が立っていた。
 気配も音もなしに近づくなんて、相変わらず趣味が悪いと思う。
 最近はあまりされてはないが、前はよく後ろから驚かされそうになった。
 寸前で気付いて振り向いて、彼のバツの悪そうな顔を何度見ただろう。
 その度に『ロイには適わない』と云われて少しいい気になったが、自分からしてみれば、誰だって王子にこそ適わないと思うのだ。
 彼の笑顔に触れてしまえば、誰だって一瞬で落ちてしまうだろう。
 この城にいる人々はファレナの為という大義名分ももちろんだろうが、王子の素養に惹かれて集まった者が大部分だ。
 いやしかし、誰彼構わず声を掛けるのは如何なものか。

 ロイは隣に現れた影から逃げようと試みたが、こう隣に立たれてしまってはそれも出来ない。
 出来る事なら傷つける事はしたくないのだ。
 もしかしたら自分もその素養にヤられた一人なのかもしれない。
 彼の悲しい顔は出来れば見たくないのだ。
 けれど最近の彼は自分に会うと難題を吹っ掛けてくる。
 こちらが出来れば答えたくない、無理難題を。

「ロイ、僕の事好き?」
 やはりきたか、とロイは空を見上げる。
 蒼穹には雲ひとつなく、本当に今日はいい天気なのだと思う。
 いや、しかし。
 いつからだろう。最近は会えば絶対にこれだ。
 そしてこんな問いに易々と答えられるわけもない。
 色々な蟠りや壁がその問いには立ちはだかる。

 まったく妙な奴に気に入られた、とロイは息をつく。
 仮にも彼はこの軍の主で、この国の王子で、この城の人々の期待を一身に背負う人物なのに。
 それなのに自分の事を好きだと云う。
 生まれも育ちも悪い自分を、好きだと云う。
 しかも平然と、当たり前のように言うものだからロイにはその言葉が測れない。
 どういう意味の好きなのか。
 何を自分に求めての問いなのか。
 だからまだ答えを決めかねているのだ。
 いや、決めるとかどうとかの問題ではないことは解っているのだが。

『答えれっか、そんなモン』
『知らねぇよ』
『ンなこた、どーだっていいだろ』
 誤魔化す言葉はもういい加減言い過ぎた。
 質問をあらぬ方向で返す言葉はもう、言い飽きた。
 そして云うたびにどこか落ちてゆくような彼の表情ももう、見たくはなかった。
 まあ、それだけ言われてもまだこの質問を自分に掛ける彼はある意味すごいと思うが。
 ロイはそしてまた息を吐く。

 すきかきらいか。
 そう問われたら好きなのだ。きっと。
 だって、確かに嫌いではないから。
 けれどどんな好きかと訊かれたら困ってしまう。
 例えば触れたいだとか、触りたいとか、そういう欲望はないことはない。
 けれどやはり隣の彼が有り得ない位さらりとその質問を投げて寄越すものだから、測りかねてしまう。
 どの程度の好きで。
 どの程度を求めているのか。
 それは『嫌われてなくて良かった』程度なのか、『勿論友達だよ』程度なのか。
 それとも自分と同じ物を返してくれるのか。

 けれどやはり。
 もうそんな顔には飽きたのだ。

「そっか」
 得られない答えに待てなくなったのか、彼はそう呟いて立ち上がった。
 影がゆっくりと動いて、消えそうになるのに気付いて、無意識に腕が伸びた。
 何をしたかったのかよく憶えていない。
 何をしようとしていたのかも、よく覚えていない。
 ただ、去ってゆくその影が淋しくて、だからだったのかもしれない。
 掴んだ腕は矢鱈と細くて驚いた。
 引き寄せたその目がありえないくらい開いていて、少し笑いそうになった。
 そして勢いに押されて唇を重ねた。

 これは悪いことだ。
 悪いことなのだ。
 そう思ってはいるけれど、口腔への侵入は意外に容易くて。
 動かない舌に、自分のそれを絡めた。
 舌の上を、自分の舌先でなぞり、前歯の裏も舐めた。
 何故だか全てが甘くて。
 このまま繋がっていられたらいいなと遠くで思った。

 背中をばしばし叩かれて我に返る。
 慌てて唇を離したら、彼が肩で息をしているのが見えた。
 それが可愛いらしくて思わず笑った。
「鼻で息すんだよ」
 涙目で睨まれて少し自責が走る。
 好きかと訊かれて勢いでやったとは言え、事後処理をどうしたものか。
 これで今更何とも思ってねぇ、なんて唇から零すわけもいかない。
 いや、自分の性格からしてそれは有りうる台詞ではあるが。
 思ってもいない言葉は出来る限りこの相手にはしたくなかった。

「オレのスキはこーゆースキだ」
 半ばヤケでそう云った。
 どんな答えが返されても別にもういいと思った。
 後は自分の仕事を最後まで全うすればいいだけだ。
 例えお互いに亀裂が入ったとしても、立場的に考えれば一緒にいる必要もない。
 ただ、この宛もない感情はもう出される事なく閉じ込めなければならないのだな、と。
 その感情に同情しながら。
 けれど。

 ばっしゃーーーーんっ!
 ロイは訳が判らなかった。
 全て一瞬で、そして自分は水浸しだ。
 隣の王子も自分と同じように髪を顔にへばりつかせている。
「あはははははっ」
 そして呑気に笑っている。
「王子サンっ!どーゆーつもりだ、コレはっ!」
「あはははははっ!ごめんごめん。抱きつこうと思ったんだけど、落ちちゃったね」
「笑って済むかっ」
 ざばざばと水を掻いて端まで行こうとしたら、スカーフを引っ張られて足を止められた。
 冗談ではなく首が絞まる。
「何すんだよ」
「僕もロイが好きだよ」
 くちびるが重ねられた。
 すぐ眼前に彼の顔があった。
 例えそれが子供のようなそれでも。
 驚いて魂が飛びそうになった。
「知ってっつーの…」
 ぼそりと呟いたけれどまさか。まさか本当にその好きなのだとは思わなかった。
 思わず張った虚勢は空回りして空に吸い込まれた。

 気付くと王子は既に陸の上で、水の中には自分ひとりしかいなかった。
 自分から落としておいて何なんだ、と思いながら慌ててロイは水を掻く。
 表面を輝かせた水が、動くたびに飛沫を上げた。
 それすらも綺麗に光る。
 ざばりと音を立てて上がると、裾の水を絞りながら彼が云った。
「お風呂でも行こっか」
 ………。
 一瞬の間。の後。
 セラス湖にまた大きな飛沫が上がった。
「ロイっ!?大丈夫!?」


某所、某様のイラストより(えぇ!?)

ロイは王子に色々するけど、やっぱり最終的には王子が上手みたいです。

最後のロイはお風呂に誘われて妄想しちゃってるんです

まだまだ青いんですよ(笑)

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