さよならの朝

「ったく、ンな顔すんなよ」
 折角戦争が終結を迎えたというのに、この戦争の功労者は先ほどからうかない顔だ。
 世界は平和を取り戻し、元の生活に皆戻ってゆく。
 戦争など、遠い国の御伽噺のように、まるで何もなかったかのように。
 人々は非日常から日常の元へ却って行くのだ。
 そして今、全ての人が彼に感謝し、彼は全ての歓喜を受け止めなければいけないのに。
「今日が最後なんだから、笑えよ」
 それでも晴れない彼の顔に、ロイは思わず唸った。

 本拠地であったセラス湖の遺跡から、丁度吊橋へと続く道。
 気を遣ってくれたのか、皆自分の事に忙しいのか、あたりは無人だ。
 まるで平和を喜ぶかのように暖かい風が、ふわりと二人を包んで流れていく。
 この風が、少しの埃っぽさを含んでいたら、初めて会ったあの山の風に似ているかもしれない。
 初めて眼前の彼と会ってから今日まで、確実に時が経った。
 それは長くもあり、短くもある時間。
 あの時の自分は、まさか彼に対してこんなにも感情を持つなんて思ってもいなかっただろう。
『オレが代わってやるよ』なんて、今にして思えば大それた事を言ったものだ。

 旅立ちは必然だった。
 彼にも、そして自分にも。
 ただ。一緒に行く相手が違うというだけだ。
 ただ。その行く先が違うというだけだ。
 いつか彼は話してくれた。
 世界中を旅して、いつか妹を護れる立場に立てたら。と。
 何度も何度も話してくれた。
 自分はきっと井の中の蛙でしかない。もっと沢山の世界を見たい。と。
 そして自分は密かに夢を抱いていた。
 それは決して叶わない夢。
 月が出会うことの出来ない太陽を焦がれるように、叶うことのない幻想。
 本物と偽者が一緒に旅をする、そんな夢。

「もうすぐゲオルグが迎えに来んぜ」
 萎んでゆく二人の時間に怯えるかのように、彼は小さく頷いた。
 遠くで鳥が高く高くキィと鳴いた。
 それはもの悲しくて暖かな陽の光さえも翳ってしまう。
「ロイ」
 人差し指だけ引かれて、口付けされた。
 そうしたら何故だか波が立って、ロイは彼のその柔らかな唇に自分のそれを繋げる。
 もう、この感触も最後なのだ。
 触れられる手のひらも。
 長い睫が影を落とす目も。
 これで最後なのだ。
 ずっといつまでも。
 きっと次に会うまで。
 いや、もしかしたらもう会うことも叶わないのかもしれない。

 けれどこの城に二人で居たって、どこにも行けない。
 何も変わらない。
 心地の良い進展なんてきっと何も起こらない。
 今までは答えなんてなくても歩いていけた。
 けれどこれからは、答えを見つけるために歩いていかなければならない。
 それでもきっと、二人で歩いていけるかもしれないと。
 甘い希望は込めてはみたけれど。
 道を決めたのは自分。そして、何も言わなかった彼。
 路を決めたのは彼。そして、何も云わなかった自分。
 どちらが悪い訳でもなくて、どちらが哀しいわけでもなくて。
 ただきっと。どこへどう歩いてもこうなる事は必然だった。

「用意はいいか?行くぞ」
 ゲオルグが旅立ちの時間を告げた。
 塔の窓からは王子を見送る人々が手を振っていた。
「大丈夫だって。間違いじゃねぇよ」
 そう云って彼の背中を押した自分の手は震えていた。
 もしかしたら彼は気付いているのかもしれない。
 それとも彼は全く気付いていないのかもしれない。
 誰にも見えないように、震える手をロイは押さえた。
 大丈夫なんかじゃない。
 彼がいなくなって何が大丈夫なのだろう。
 彼がいなくなって何が良くなるのだろう。
 何もない。
 ただ、この心に黒い孔が出来ただけだ。

 小さくなってゆく彼が、最後に少しだけ振り返り手を振った。
 ロイは何もない目で、ただ振り返した。
 視界が霞んでゆくのがわかった。
 ああもう、何もなくなってしまった。
 色々なものが剥がれて削がれてしまった気がした。
 半身がいなくなってしまった気がした。
 柔らかく風が吹いてロイを包んで消えた。
 甘い匂いがした。
 彼の匂いがした。

 彼の匂いがした。


 深夜。
 まだ冷たい空気の中で、独り歩いていた。
 約半数以上の住人が元の街へと戻っていった。
 円堂から外へ出てみると、空に星は何も見えなくて。
 ここに終結していた星星は確かにもう、役目を終えて散っていってしまったのだな、と理解する。
 昼間と同じ匂いのする風が、ただ、その熱を失ってまたロイを包んで消えた。
 ヒタリ、とその歩を進ませ、塔へと向かう。
 中心の、彼の部屋へ入ると、そこには何もなくて嫌に寒々しかった。
 彼が使っていたベッドを撫でると仄かに熱を感じて、ロイはそのまま潜り込んだ。
 まるでまだ彼と一緒に眠れているような。
 そんな甘い錯覚を染み込ませながら。
 それはありえない事だと理解ってはいたけれど。

 きっといつかまた会えるのかもしれない。
 もしかしたらもう会えないのかもしれない。
 けれどきっとその時も、あの風は吹くのだろう。
 そして今も彼の頬を撫でているのかもしれない。

 いつか歩いて行ったらまた。
 この路は繋がるのかもしれないと夢見ながら。



…最後の日だと言うのに、王子ったら「ロイ」しか云ってません。

ゲオルグの方がまだ長く喋ってるよ!(笑)

服部祐民子さんの歌からインスパイアされました(というかそのまま?)

王子とロイが旅立ったらとても面白いのになーと思います。

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