† | ありがとう | † |
この世界に落とされて 何もいいことなんてない ずっと独りでいたし 羽根なんて落ちてきた事もない 世界は白くて涙が出る 生まれてきた意味を。 そう問われたら何て答えれば良いのだろう。 生まれてくる事には必ず意味があって、誰かの為に自分が存在する。 そんな綺麗ごとを云われても信憑性は全くない。 だって、誰かの為に生まれたと言うのならば。 何かを成す為に生まれたと言うならば。 生まれてすぐ死んでしまう赤ん坊は何の為に生まれるのか。 幼くして死んだ妹は何の為に生まれたのか。 死すべき所で死ねなかった自分は、何のためにこの命を永らえるのか。 どうしてその時死ねなかったのか。 どうして誰も自分を殺してくれなかったのか。 どうして誰も自分を殺してくれなかったのか。 ピンポーン。 高いチャイムの音に、ふ、と 落としていた意識を拾い上げた。 美鶴は頭を振って、覚醒を呼び起こす。 辺りはすっかり薄暗く閉ざされており、白い紙に沢山の水を混ぜた黒をざかざかと塗ったような色だ。 日向の匂いをすっかり落としたカーテンは今見るととても重苦しい。 美鶴は永い眠りから覚めたばかりのようにゆっくりと、玄関へ向かった。 その足取りは部屋の暗さと同じくらい、重かった。 けれど。 きっと、そろそろだ。 心の奥は少しだけ浮く。 きっと、そろそろだ。 時間にしてみれば丁度良い。 ガチャリと鍵を開け、扉を開くと案の定。 もうすぐ黒に侵食されそうな朱を背景にして彼が立っていた。 予想通りだ。 「亘」 「あれ?もしかして寝てた?美鶴」 「いや、ぼっとしてただけだ」 「そう。美鶴さ、もうちょっと誰か確認してからドア開けたほうが良くない」 「余計なお世話だ」 そんな事云われても大方予想は付いていたのだから仕方が無い。 物騒な世の中だとは云うが、そんなに物々しくては友達さえ呼べない。 もし、彼を友達と呼ぶことが出来るのならば。の話だけれど。 「あはは。お邪魔しまーす」 亘はけれど、自分の言葉に何か気にした風もなく、笑いながら手馴れたように靴を脱ぎ部屋に入ってきた。 こんな光景はもう何度目だろうか。 最近はどちらかの家にどちらかが邪魔する事が当たり前になってきている。 幻界に行く前まではおよそ考えもしなかった事だ。 自分が、誰かと、仲良く、つるむなんて。 「今日、叔母さんは?」 「残業はないって言ってたから7時くらいだろ」 「そっかー。カレー作ったら美鶴も食べるよね」 「ああ」 何故だか知らないけれど亘は時々ご飯を作ってくれる。 いや、何故、という言葉には御幣があるだろうか。 自分は知っているのだ、その理由を。 亘から明瞭と聞いた訳ではないが、なんとなく予測は付く。 自分を 生かすためだ。 亘は知っている。自分が自殺をしようとした事も、生きる事に興味がない事も。 学校の屋上で独りで空を見ていたら、手を繋がれた事が幾度とあった。 それが、牽制だと知っていた。 けれど死にたかったのは幻界へ行く前の話だ。 自分がこの世界に何の意識も持たなかった頃の話だ。 幻界へ行って、亘と出会って、救ってもらった。 赦されたという訳ではないけれど、自分は生きてゆけるのだと思った。 生きていても良いのだと知った。 誰かに必要とされるという事はとてもすごい事だと思うし、それを自分に求めてくれる彼はとても凄いと思う。 この世界では魔法も使えないし、何も出来ない自分をそれでも好きだと云ってくれる。 だから今は死ぬという事をあまり意識しなくなった。 闇に心を奪われる事もなくなった。 少なくとも、亘が隣に居る間は。 生きて行こうと思った。 けれど。 生きている意味を問われたら。 自分の生きている意味を問われたら。 果たして何て答えればいい。 自分が生きていく路の先に。 何か理由が待っていてくれるのだろうか。 何か答えが待っていてくれるのだろうか。 「ね、美鶴ってやっぱり小さい時から綺麗な顔だったんだね」 共に同じ部屋に居ても同じ事をするとは限らない。 大抵自分は本を読んでいるし、亘は大抵ゲームをしたりテレビを見たりしている。 時々彼の遊びに自分は参加するが、自分の行動に彼は参加することはない。 自分がしている事は大抵、独りでしか出来ないものばかりだからだ。 けれど亘は別段気にする風もなく、放っておいても独りで遊んでいる。 美鶴にとって重要なのは、同じ空間にいること であって。何かを共有する事ではない。 誰かと同じ事をしなければならない、という事に慣れない美鶴にとって亘のそれはとても有難かった。 そして今、亘は本のようなものを持って美鶴の隣に座り込んだ。 ふわり、と日向の匂いがする。 夜になっても消えない昼の匂いだ。 亘の手の中にあったものは美鶴のアルバムだった。 こんな物があることを美鶴は知らなかった。 引っ越してくる時、叔母が持ってきたものだろうか。 亘がぱらぱらとページをめくっていくと、小さい頃の自分が見えた。 幼稚園の頃や小学校の入学式。 家族のいる風景。アヤの小さな手。 思い出したくないけれど、それは素晴らしく愛おしいもの。 感情を失くした心の奥にまだ溜まる柔らかな部分。 「これきっと美鶴の生まれた日だね」 少し汚れた写真が、ページの間からはらりと落ちた。 どうしてそれだけ貼ってないのか、それは解らないけれど。 「皆笑ってるよ。美鶴が生まれてきてみんなしあわせだったんだね」 父と母の間に小さな赤ん坊がいた。 父も母も笑っていた。 少しだけ手が震えた。 「美鶴はきっと望まれて生まれてきたんだね」 そんな事があるとは思っても見なかった。 誰かに望まれていた事を考えもしなかった。 ましてやそれが、あの両親であるなんて思いつきもしなかった。 だって。 自分が生まれた意味を。そう問われたら返す言葉はない。 思い当たる答えすらない。 けれど、自分が生まれた日にそれを喜ぶ人がいる。 それはあまりにも信じられなくて。それはあまりにも心の浮く事だった。 「オレは……」 からからに渇いた音がした。 云いたい言葉があるのに、喉が詰まって声が出なかった。 言葉が絡まって音にするのが困難だった。 「僕はさ、美鶴が生まれて生きていてくれて 嬉しいよ」 写真を大事そうに白い縁を持って眺めながら亘が云う。 その言葉が、自分にとっては最高の、神の言葉だった。 生まれてきた意味を。 そう問われたら返す言葉は見つからない。 けれど、自分が生まれたことを誰かが喜び。 自分が生きて来た事を誰かが喜んでくれる。 たとえ沢山の人が自分を石の上で歩かせようとしても。 ただ一人が花をくれればいい。 ただ、亘がいればいい。 伸ばした手が日向を抱きしめた。 「わ、美鶴 ちょっと」 手からひらりと写真が舞い落ちる。 けれどわがままな手は止まることなく彼を閉じ込めた。 「ありがとう」 沢山の想いをこんな五文字のものに収束させるのはとても陳腐な気がしたが。 それでも感情は何か音をもって彼に届けたかった。 日向の匂いがする。 それは夜になっても消えない匂いだ。 自分が生まれてきた事を喜んでくれる。 そんな匂いだ。 | ||
きっと美鶴だって、生まれてくることを望まれて居た筈で。 今、美鶴が生きている事を一番喜んでいるのは亘であればいい。 そして美鶴は喜んでくれる亘に喜んでいればいい。 |
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Feb/07 | † | 戻る |