† | 月の檻 | † |
6 | ||
目を開くと辺りはぼんやりと霞が掛かっているように見えた。 じ、と目を凝らしているとようやく、煤けた天井から、ここがユエの家の自室だと理解る。 そして、もう自分の家だと云えなくなっている自分に少しだけ自嘲する。 記憶の糸を引きずり出してみると、ジョウイの顔が見えた。 ああ、そうだ。 失くした物を見つけたのだ。 閉じていた箱を開いてしまったのだ。 何も良いものなんか入っていない、箱を。 それからどうやら自分は気を失ってしまったらしい。 その後はブラックアウトで何の覚えもなく、その次はもう現在だ。 もそりと布団をめくると、動きに気づいたのか声が聞こえた。 「起きた?」 声にそちらを向くとルックだった。 壁に凭れてこちらを見ている。 以前と変わらない、長い碧と白の法衣。 この部屋にユエの姿は見えなかった。 それはそうだろう。 ずっと探していた仇が自分なのだから。 目を覚ました自分に、いつもどおりの笑顔を見せられる訳がない。 「ん」 ぼんやりと目を擦ると、その腕をルックに取られた。 何事かとそちらを見やると、両の腕に包まれた。 珍しい激情に驚いた。 けれどマユキは少しだけその腕に頬を預けた。 この先にあるものを覚悟するように、だから。 今は少しでも夢を見たいと思って。 懐かしいルックの匂いに包まれて、夢を見たいと思って。 扉を開くとユエが待っていた。 いや、待っていたというのは少し御幣があるのかもしれない。 彼はきっと決着を付けたくないのだろうから。 それ以前に、今日つい先ほど知った事実をまだ、理解したくないのだろうから。 そうだ。だからマユキの事をまだ、こんな風に呼ぶ。 「ユアン」 ユアン、と。 彼はなかった事にしたいのか。 それとも時間を彼だけ戻してしまったのか。 けれど割れてしまったものは戻らないし、聞いた事実は擦り変える事は出来ない。 「ユエ。僕を……殺したい?」 さらりと事実は唇から零れた。 そうだ、彼が探していたのは紛れもなく自分。 都市同盟のリーダーだった”マユキ”である。 言葉にユエの顔がみるみると蒼白なってゆくのが解った。 ああやはり、彼は無かったことにしたかったのかもしれない。 何も知らなかった、聞かなかった事にすればまた、あの生活が戻ると思っているのだ。 「僕はユエがずっと探していたマユキなんだ。殺したい?」 全て壊れてしまえばいい。 そのくらい自虐的に嘲笑った。 今までのゆるりとした生活を彼の中から全て消し去るくらいに、嘲った。 そして彼が自分を殺してしまっても、後悔しないように。 後悔出来ないように。 「…っつ…」 唇を噛みながら彼が腰の剣をすらりと抜いた。 よく手入れをされている刃に、苦渋の顔が映る。 「僕は何も後悔はしていない。都市同盟の事も、戦争の事も」 こうなった事が運命ならば、彼に殺されるのもきっと運命なのだろう。 記憶を失くして何故彼の所へ行き着いたのか、その意味は自分には解らないけれど。 ゆるりとした、とろりとした幸せな時間をくれた。 戦争中にはずっと味わえなかった、ゆっくりと過ぎていく時間。 目に見えるように感じる日々の移り変わり。 何かに怯えることも無く月が出ればゆっくりと眠り、青空の鳥の声で起きる。 そして、帰ってくる誰かを家で待つ。 そんな幸せを味あわせてくれた。 きっと戦争の中で戦いながら死んでゆくのだと思っていた自分に、そんな時間をくれた。 だからきっと彼に殺されるのならそれは 運命なのだろう。 抵抗する気は端からない。 手を加える気もさらさらない。 首を切られようが、胸を刺されようが何でも良い。 彼に殺されるのならばそれでもういい。 けれど。 ゆるりと時間が過ぎても、何も動く気配はしなかった。 見えない糸で止められているかのように、彼はつま先さえも動かさない。 剣の先だけをこちらに向けたまま。 二人の間は平行線で、空気さえも動く事を躊躇う。 何も動かない。何も動けない。 ただ、そこに存在するだけ。 「行け」 じりじりと時間が過ぎたその果てで、掠れるような声がかろうじて聞こえた。 けれど言葉の中身までは解らなくてマユキはそろりと一歩。切っ先に向かって歩を進めた。 「行ってしまえっ。もう二度とオレの前に姿を現すな」 ぶん、と剣を一振りするとそれは鞘の中に納まった。 マユキは暫くじ、っとユエを見ていたが、やがてくるりと踵を返した。 にこりと笑顔を残して。 「ありがとう」 感謝している訳ではない。 感謝していない訳でもない。 自分はきっとこの世に存在してはいけないものだという自覚はある。 けれど生かされたのであれば生きていかなければならない義務がある。 今はきっと感謝がユエを繋ぎ止める糧になるだろう。 この言葉だけが、彼を後悔させない糸になるのだろう。 そう 願って止まない。 外に出るとざあ、と風が鳴った。 案の定、その中にはルックがいた。 待っていてくれたのだろう。 「ふん、殺されずに済んだみたいだね」 相変わらずだ。 人がいくら殺されない自信があったとはいえ生死の境を歩いてきたというのに。 生きるか死ぬかを他人の手にゆだねてきたばかりだと言うのに。 彼はやはりそんな言葉で出迎える。 けれど。 「ルックもありがとう」 今度は反対にマユキから手を伸ばした。 けれどルックは何も云わない。 その様子になんとなく覚えがあって、マユキは少し笑ってみせる。 「ルック、僕がジョウイで思い出したから怒ってるんだよね?ごめんね?」 「……」 「ルックってば、ごめんって」 「………君にとって思い出す事は辛い事だった?」 ざあっ、と風が盛大に草の腰を曲げて流れていった。 空が朱く色づいてゆく。 夜の手がそろそろ空を撫でに来る。ゆっくりと時間を掛けて全てを冷やしてゆく。 言葉もなく、マユキはルックの法衣の裾を握り締めた。 「好きだよ。ルック。それだけでいいんだ」 ルックはマユキの髪を撫でた。 さらりさらりと、指先から微かな震えが感じられる。 彼の戦争は、まだ終わってないのだと理解しながら。 「シュウから伝言があるんだ」 月明かりの湖を二人で歩いた。 何も考えずにいたらそこは、デュナン湖を思い出す。 まるで戦争中、二人で歩いた時のように。 「君はもう自由にしていいって。君の身柄は星見の塔に置く」 「あれ、そこって」 「家事は分担だからね。レックナート様の相手は大変だから覚悟しておいて」 「本当に?シュウがそんな事言ったの?」 「……まあね」 微妙な間を感じてマユキがぷっ、と笑った。 「ルックってば、無理やり決めてきたんだ?」 「いや、ちゃんと許可は取ってきた」 どんな方法かは言わないでおくけれど。 すっかり冷たくなってしまった空気が、さらさらと髪を撫でる。 湖の水が、ぱしゃりと鳴った。 きっと魚でもいるのだろう。 月が照らす湖面はきらきらと光って揺れている。 「そっか」 戻らなくても良いのだ。 戦争とか血とか策略とかそんな中へ。 巡らされた高い塀の中、抱える街々の旗、高く積まれた紙切れの前へ。 戻らなくても良いのだ。 「じゃあさ、僕。旅に出てもいいかな?」 「旅?」 ルックは少し怪訝な顔をした。 それはそうだろう。 ルックにしてみればこれから一緒に居られるというのにその機会を本人に潰されようとしているのだ。 「うん。戦争が終わった街を見たい」 「………」 「ルックが会いに来てくれたらとても嬉しい。僕が何処にいてもルックなら解るよね?」 「………」 「旅が全部終わったら、ルックの所へ帰るよ」 「………」 全く適わない。 ここまで言われてしまっては檻を開くしかない。 すっかりこの手の中に閉じ込めてしまえるかと思っていたのに大違いだ。 所詮鳥は飛ぶもので、ずっと檻の中にいてはくれないのだ。 そう思うと少しだけあの、ユエという人物が羨ましく思える。 例え偽りで、全てが欺瞞だとしても、マユキを檻の中に閉じ込めてしまえていたのだから。 「解ったよ」 溜息交じりに言葉を吐くと、嬉しそうにマユキが笑ったからまあ良いかと思ってしまった。 われながら甘いと思う。 彼にだけ、だが。 けれどとりあえず今日は一緒に眠る事にした。 旅立ちは出来るなら明るい時がいい。 闇に紛れて出る旅は哀しい事が多いから。 全部終わったら帰ってくる。 それだけが約束。 二人を繋ぐ証。 最後に口付けた。 久しぶりの赤い色は、とても柔らかかった。 ぴったりと隙間が出来ないようにくっついて眠った。 ルックは体温が低いのに、不思議なくらい暖かくて、マユキはゆるりと眠りに落ちた。 全部終わったら帰ってくる。 それだけが約束。 それだけが約束。 ある晴れた日に。 扉を叩く音がした。 けれど扉の前には誰もおらず、草は相変わらず風によって腰を曲げている。 空は蒼く高く、突き抜けた果ての太陽は暖かく土を乾かす。 ふと、返しかけた踵の下に光るものを見つけて取り上げた。 涙が出た。 何故だか解らないけれど涙が出た。 自分は赦した訳ではない。 まだ諦めた訳ではない。 けれど、そんな理由でずっと自分を閉じ込めていたのは自分だったのかもしれない。 確かに好きだったのだ。 深い哀切をその目に沈みこませながら、それでも日向のように笑う彼が。 消えてしまいそうなくらい儚いのに、時折強く強く光る目が。 好きだったのだ。 そしてそれだけが真実なのだと。 それだけが真実なのだと。 「ただいま、ルック」 「おかえり、マユキ」 |
||
月の檻、終了致しました。長い間放置プレイでごめんなさい。 ユエ=月 なので、月の檻なのです。話の筋は考えていたのですが ラストが決まってなかった!(おい) とりあえずこれでずっと持っていた長話しものは終わったのでまた短いものとか お題とかぽちぽち書いていきたいな。と。 世界の果てで一人になってもルク主を続けていきますので、よろしくです | ||
← | 戻る | Jan/07 |