ユエはずっとある人物を探していた。
そしてそれを何度かユアンも聞いていた。
都市同盟を勝利へ導いた年若きリーダー。
名前は確かマユキとか言ったか。
つまりユエにとっては敵にあたる人物だ。
自分の家族を直接ではないにしろ殺した人。
自分の愛する国を滅びへと導いた人。
この世で一番の憎悪を感じた人。
だから。
だから彼の命を狩るために。
彼をこの世から消すために。
その為にハイランドからジョウストンへの国境を渡ったのだ。
けれど何とか身を隠しミューズまで行ったとき。
その想いは一旦地に落ちる事になる。
国王である筈の彼はそこにはいなかった。
いやそれよりも。
行方不明だと言った。
ミューズの政府はおろか、都市同盟全体として政治に関わる者はその事実を国民にひた隠しにしているようだが、嘘は末端から解れていく。
ばらばらと浸透し始めいつしか波は全てに広がっていく。
そしてその解れが進んでいる事に政府はまだ気付いてはいなかった。
ユエの負担は大きくなった。
ジョウストンを駆け回り街には片っ端から立ち寄り彼を探した。
何しろ何も手がかりがないのだ。
ユエは彼の顔すら知らなかった。
ただ顔を見た戦友に聞けば、額に金の輪、両手にトンファー。
そして右手には光るような紋章を携えていたと言う。
追うものにはそれだけの情報があれば十分だと思った。
それにユエには何故か探し出せる自信があったのだ。
会えば一目で解るだろうと。
それはまるで一つの恋にも似ていた。
誰かただ一人の人を激しく求める。
恋にも似ていた。
「今日はどこへ行って来たの?」
ユアンの作ったささやかな夕餉。
それを囲んでユアンがユエに聞いた。
夕食の話題はいつも決まってこれだ。
ユアンは外の話を多分に聞きたがった。
そしてその一つ一つに目を輝かせた。
けれどそれなら一緒に行けばいいのにとユエはいつも思う。
ユエとしてもこんな何もない家にただ一人閉じこもらせて置くよりはもっと外の世界を見せたいと思っていたのだ。
その事を本人にも言ってみるのだが、何故かユアンは外へ出る事を極端に嫌がった。
いや。
嫌がっているのではない。
怖がっているのだ。
そして怯えている。
「今日は都市同盟が本拠地にしていた湖の城に行ってきた」
「へえ、城?」
ぱ、っとユアンの目が輝く。
それを見てユエも顔を綻ばせた。
「大きかった?」
「そうだな。ハイランドの城には劣るけれどそれなりに大きかったな」
「誰かいた?」
「店はちらほらとやってたが、閑散としてたな。情報も掴めなかったし・・・・・・」
「そっか」
ふいとユアンの目に影が生まれた気がした。
いや、それは気のせいだったのかもしれないが。
ユエはそれでも。
他人の事もまるで自分の事のように感じてくれる彼が好きだった。
彼のその感情がとても愛しいと思った。
「オレは同盟軍のリーダーを赦さない・・・」
自分に言い聞かせるように、ぽつりとユエが言った。
言葉にする事で決意をもっと強固なものにするために。
けれどその言葉にユアンの肩が震えた。
どうしてそんな反応が起きるのか自分でも解らない。
同盟軍のリーダーなんて見たこともない。
なのにどうして。
なのにどうして、こんなにもドキドキするのだろうか。
心の奥に影がある。
開けてはいけない箱がある。
それを知ってはいるけれど。
開けてはいけないと思えば思うほど。
開けなければ箱の意味がないと思ってしまうのは何故だろう。
それは自分に理由をつけたいから?
ユアンには前前から密かに感じていた痛みのようなものがあった。
何かが心の奥でカタリと動くようなそんな、些細な痛み。
気付いてはいけないと思いながらも、気付かなければどこにも行けないような。
軽い眩暈、小さな棘、心の中に釘を刺して引っかいたような傷。
話してくれる彼の言葉からいつも見つけては心の鳴る言葉があった。
どうしてかとても気になる言葉があった。
”同盟軍のリーダー”。
彼がその言葉を唇に乗せる度に何か気付く事がある。
呼ばれたような感覚が伴う。
どこかに大切な何かがあるような気がして、けれどまた何かにそれを牽制されているような気がする。
そこへ行ってはいけないと。
それに気付いてはいけないと。
だからユアンはいつでも、線から先に足を進める事が出来ないのだ。
何かが空白な気がした。
自分の記憶に関してもそうだ。
記憶がないということに不安はないかと言われればそれは嘘になる。
けれど全てを思い出してこの頭を記憶が埋めるのならば、どこか空白で穴が空いていた方がいいと思ってしまう。
それはそこに埋まるべき記憶が本当はどんなものであるのか気付いているからなのだろうか。
そして自分とユエの関係も空白だと思った。
間に何かあるような気がしてならない。
二人の間に何かいいようのない空気があるような気がしてならない。
ユエは優しい。
けれどその優しさに身を浸してしまうと、後がとても怖い。
何かが解れてばらけて色々なところへ転がって、収拾がつかなくなってしまう。
時折とてつもない深い闇が心を襲う。
夕日を侵食していく夜の帳のように、先ほどまで明るかった心はふいの闇に覆われる。
そんな事が本当に度々あるから、ユアンはどうしても傍観者になってしまうのだ。
そしてそんな自分をとてつもなく嫌悪した。
自分は一体何者であるのか。
自分は今までどこで何をしてきた人なのか。
どうしてその言葉に心惹かれるのか。
記憶を探ろうとしても糸の先は闇の中で、自分はその中に踏み込む勇気すらなくて。
本当にこんな自分が嫌になる。
だから。
だから、前の自分も逃げ出したのかな、と思った。
「ユアン・・・?」
黙り込んだ事を訝しく思ったのか、ユエが顔を覗き込んだ。
は、と気付いて持ったスプーンを鳴らす。
「な・・・何でもないよ」
何もない空白の笑顔が顔を占めた。
けれどユエはそれに気付く事なくまた箸を進ませる。
ユアンは息を付いて。
何でこの人はこんなにも優しいのだろうかと思った。
いつまで自分は甘えているつもりなのだろうかと。
そう思った。
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